どんな困難が襲いかかろうと生きることをあきらめない――戦国時代末期の石見銀山を舞台に描かれる銀掘たちの物語。直木賞候補作『しろがねの葉』

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/14

しろがねの葉
しろがねの葉』(千早茜/新潮社)

 深い悲しみに身を置きながら、生き長らえようとすることは容易ではない。人生とは難儀なもので、何かの拍子に、生きるのも地獄、死ぬのも地獄…という事態に陥ることがある。ひどい苦しみの最中、人はどのように己の人生と向き合うべきなのか――。

 第168回直木賞にノミネートされた千早茜さんの『しろがねの葉』(新潮社)は、そんな難題に幾通りもの道筋を示す時代小説だった。

 物語は戦国末期、飢えや兵役の恐怖から脱出しようとしたある家族が、夜逃げを画策するも、村人に見つかり、幼い娘・ウメが一人で必死に逃げ切ろうとするところから始まる。ウメが迷い込んだのは仙ノ山。そこは現在、世界遺産にも登録されている石見銀山の要所。ウメは、シルバーラッシュに沸く石見銀山で、幾人もの銀掘を抱える天才山師・喜兵衛に拾われる。

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 石見の人間は、昔から、銀を掘り、年貢に銀を納め暮らしてきた。ウメは、喜兵衛から、山で稼ぎ生き抜くための知識と、他言無用の鉱脈のありかを叩き込まれ、喜兵衛の手子(雑用係)として、鉱山の掘り口…いわゆる真っ暗闇の「間歩(マブ)」に出入りし、働き始める。

 夜目が利き、夜道も昼と同じように歩けるウメは、男ばかりが働く過酷な仕事場で、想像以上の活躍をする。だが石見は、関ヶ原の合戦のわずか10日後、徳川の蔵入地になってしまい、新しい間歩を自由に切り開けなくなってしまう。喜兵衛はその事実にショックを受け、酒に溺れる。また、ウメは成長するに従い、男たちから着物の裾を無遠慮に眺められるようになり、初潮が来ると、「間歩の冷たさはおなごの躰には毒じゃ」と、間歩で働くことを禁じられる。

 血の繋がった家族と別れ、尊敬する庇護者を失い、生きがいであった間歩の仕事も「女」であることを理由に失ったウメ。だが、彼女の過酷な運命はまだほんの序章で―――!?

 本作を読み終えた時、私は、主人公ウメの、目を見張るほどの生き抜く力としたたかさ、そして決して折れない心に驚嘆した。銀掘の男たちは、長生きできない。石粉を吸って肺を病み、咳に潰され早死にするのだ。

 だがそれは、男もその家族も、覚悟していることだった。それゆえ「銀山のおなごは三たび夫を持つ」と言われている。女は将来の働き手となる子を産めるので、嫁の貰い手はいくらでもある。自己実現など言っていられない厳しい時代。米を食いたければ、銀を掘るしかない地で、ウメは、女ゆえ、生きるために、銀堀になるのをあきらめ、幼い頃から仕事のライバルであった、鷹のような鋭い目が印象的な、優秀な銀掘である隼人の妻になって子を産んだ。

 男も女も過酷な時代と運命に翻弄されながらも、懸命に生きようとする姿が印象的だが、喜兵衛や隼人、海の向こうから来た冷酷なヨキをはじめ、ウメを守ろうとする男たちが、非常に魅力的に描かれていたのも心に残った。

 ウメは、どんな困難が待ち受けていようと、塞ぎ込むことはない。周囲の事情や苦しみを理解しながらも、自分の一番守らねばならないものを察知し、パワフルに、時にはしたたかに立ち向かっていく。色や香りが伝わってくるような、五感を心地よく刺激する繊細な文章で物語は紡がれているが、時折、「性」と「生」の圧倒的な力強さが染み出す官能的なシーンがあり、人が生き続ける理由は、本能的なものもあり、理屈ではないのかもしれないと思った。

 もちろん、本作はウメのような強い女性ばかりではなく、銀掘よりも命が短いと言われる艶やかで悲劇的な女郎たちや、いつもウメを支えるウメと同じ銀掘の妻、優しい性格のおとよも登場する。銀山で懸命に生き抜いたさまざまな立場の数々の男や女、全ての命が力強く煌めいていて、生きることの重みを、現代を生きる我々に伝えてくれた気がした。

文=さゆ

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