恩田陸が描くミステリー・ロマン! 豪華客船と“呪われた”小説… 謎と秘密を乗せた航海が始まる

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/7

鈍色幻視行
鈍色幻視行』(恩田陸/集英社)

「密室」とは、私たちミステリー好きにとって、なんて甘美な響きをもつ言葉なのだろう。外部から切り離された閉鎖空間。そこでは、その場でしか生み出すことのできない独特な空気が醸造される。そこで育まれるのは、友情なのか、愛情なのか、それとも、憎悪なのか、嫌悪なのか。ミステリー好きならば何が巻き起こるのか、見届けずにはいられない。

 そんな、ミステリー好き、さらには映画好きを虜にするに違いない物語が『鈍色幻視行』(恩田陸/集英社)。15年の連載期間を経て、書籍化された恩田陸氏によるミステリー・ロマンだ。海の上の豪華客船。そこに集められた一癖も二癖もある乗客。彼らが皆、愛してやまない“呪われた”小説と、頓挫し続けるその映像化……。ミステリー好きならば、そんな舞台設定を知るだけで、心躍らずにはいられないが、実際、ページをめくれば、もう止まらない。恩田陸流『オリエント急行殺人事件』とでも表現すればいいだろうか。誰も逃げ出せない「密室」で繰り広げられる胡乱な人間たちの会話は、アガサ・クリスティ作品を彷彿とさせる。『冷血』や『シャイニング』、『マラソンマン』など、ホラー映画、スリラー映画の名やエピソードが多数登場するのも映画好きとしては嬉しい。自分も船に乗り合わせたような息苦しさの中で、“呪われた”作品の謎を追えば、ゾクゾクさせられっぱなし。どうして人はこうも禍々しいものに惹かれてしまうのだろうか。高揚と不安とが混じり合うような奇妙な心地のまま、そこに何が隠されているのか、焦るように真実を追い求めてしまう。

 主人公は、小説家の蕗谷梢。彼女は、撮影中の事故により何度も映像化が頓挫している“呪われた”小説『夜果つるところ』への興味が抑えきれずにいる。その小説は最初の映画化の時は、原因不明の出火で6人もの死者が出る大惨事が起き、二度目の映画化の時は役者同士が無理心中するという騒ぎで、ともに撮影は中断。三度目の映画化では脚本家が脚本を完成させた直後に自死し、最近でもドラマ化が進んでいたが、撮影カメラマンの急死で、やはり完成をあきらめたらしい。梢は、夫・雅春とともに、その関係者が一堂に会するクルーズ旅行に同行。2週間にわたる船旅の最中、彼らへの取材を試みるのだが……。

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 豪華客船に乗り合わせた関係者は皆、老獪。彼らの会合は、どんなに和やかな会話であったとて、ヒリつくような緊張感だ。小説『夜果つるところ』の作者・飯合梓のコレクターである人気漫画家姉妹。それを文庫化した時の担当編集者。最初の映画化の時の助監督。二度目の映画化の時のプロデューサー。50年以上にわたって活動している映画評論家……。四十過ぎとはいえ、梢はこの中では最年少。値踏みをするような容赦ない視線が浴びせかけられる上、彼らの会話自体も何だか演技じみていて、何かを隠しているように思えてならない。それは、この取材に協力的な姿勢を示す梢の夫・雅春でさえ例外ではない。彼らは『夜果つるところ』に何を思い、何を隠しているのか。話を聞けば聞くほど、“呪われた”小説、そして、その作者の不気味さは増すばかり。すぐ背後にこの世のものではないものの気配を感じるような、呪いがこちらにも襲いかかってきそうな恐怖感を抱かずにはいられない。

 あなたもこの豪華客船に乗り込んでみてはいかがだろうか。“呪われた”小説をめぐる謎と秘密を探ってみないか。船酔いのような眩暈、冷や汗の果て、見えてくる景色にきっとあなたは息を呑むに違いない。この物語はミステリーであり、ホラーであると同時に、登場人物たちが自身の心の傷と向き合う人間ドラマ。梢が、雅春が、そして、関係者たちが過去と向き合い、前を向く。これぞ大団円。カタルシス。何かが確かに浄化されていくような、意外な読後感を是非とも体感してみてほしい。

文=アサトーミナミ

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