「ふつうの人々」の間に交わされるとびきりの愛情物語

小説・エッセイ

公開日:2013/1/30

とんび

ハード : PC/iPhone/Android 発売元 : KADOKAWA / 角川書店
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著者名:重松清 価格:670円

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ただ「生きる」のではなく「よく生きよ」。これは古代ギリシアの哲学者プラトン、ソクラテス、アリストテレスらの言葉だ。

「よく生きる」とは、成しうることを精一杯に、悔いのないやり方で、「本当に生きた」充実感をもって生涯を閉じる、まあだいたいそんな感じだ。ホームルームで謹厳実直な高校の教師や、物知り顔の先輩なんかが酒席でそういうことを息巻いたりする。もうなんかうざったい。お前はどうなんだとコップ酒をぶっかけてやりたくなる。

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私は彼らの意見に反対だ。「よく生きる」。そんなことのできるやつは、百人中、千人中数人しかいないだろう。だらしなく、不器用に、流されながら、押しつぶされ、惨めに、何もなさないまま一生を過ごす人間が、ただ「なんなとなく」生きた人々だって、生きたというだけで、充分だと思っている。命を経験した人は誰だっていとおしいし、切ないのである。

重松清の小説はいつも、ただ「生きてしまった人間」にフォーカスがあたっている。そんな人々のいじらしさや生きざまが、変わらぬテーマである。この本もその例外ではない。

昭和38年夏、運送業に従事するヤスさんに第一子が誕生する。旭と名づけられたこの子は、中学時代に野球部でしごきによって後輩に怪我をさせたりするものの、順調に育つ。やがて早稲田大学に合格し、ふるさとを離れ、出版社に出入りするようになって、ヤスさんと離ればなれの生活を送ることになる。鳶が鷹を生んだ形である。

だが、この親子の間には、ヤスさんの仕事場で崩れる荷から旭を守るために圧死した母・美佐子と、旭を傷つけまいとして、身代わりになったのは自分のせいだったと嘘をついたヤスさん、そういう関係がある種のわだかまりとして存在している。

この小説がすばらしいのは、ヤスさんと旭の生涯を、ヤスさんの視点から、つまり「とんび」の側から描いた点にある。いささか粗暴だが、純情で、シャイで、一本気なヤスさんはいじらしくもかわいらしい。時代の流れの中で、どこかに埋もれてしまうだろうヤスさんの行動や考え方は、私たちを勇気づけずにおかない。

「ふつうの人々」の間に交わされる、しかしとびきりの愛情物語が、重松清は本当にうまい。