震災の真実を伝える、遺体をめぐる数々の証言

更新日:2021/6/17

遺体―震災、津波の果てに

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 新潮社
ジャンル:ビジネス・社会・経済 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:石井光太 価格:1,296円

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本記事は、2013年に公開したものです。

 東日本大震災から2年。映像、写真、活字のなかでさまざまな報道がなされてきた。

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 被災地を訪れるテレビ番組では、被災後すぐの瓦礫の山の中で、あるいは自衛隊が捜索活動に専念する模様が取材され、あるいは一面の荒れ地と化した町の現在の惨状がレポートされる。

 私たちはそれで震災の悲惨さが分かった気になる。ひどい壊れ方だなあと嘆息し、恐ろしい災害だったなあと。

 だが、テレビも新聞も、決して報道しなかった場面があった。遺体の姿である。報道協定でもしいたように、遺体のありさまはひとつとて映し出されなかった。亡くなった方々の姿形はぬぐい去ったように映し出されるのを避けられていた。まるで震災の最も大きな被害は町が壊滅したことだと思わせるかのように。

 あの惨劇の最大の本当の被害者は、徹底的に破壊された町でも倒壊した無数の家屋でもない。津波や放射能に襲われてすべてを失った住民の方々、分けても無念のうちに亡くなってしまった人々ではないだろうか。それがいっさい報道されない。

 もちろん15,854名の死者、3,155名の行方不明者(2012年3月10日現在)という「数」は繰り返し知らされた。それはしかし、ただの数字だ。数字は抽象でしかない。ひとりひとりの、亡くなられた方々が、どのような死を迎えたか、私たちには全く伝わってこず、ましてや想像することすらできない。

 本書は、タイトル通り、震災後2日目に現地へ入った著者が、あまりにも多すぎる遺体がたどった悲惨な状況を克明にレポートした貴重な、真実の1冊なのである。

 著者は、釜石の死体安置所のひとつ、廃校となった釜石第二中学校で働いた数十人の目からありようを描写していく。それは震えがくるほどリアルだ。

 突如激震に襲われた体験が書かれ、体育館に集められた数百の遺体がところせましと並べられた無残としかいいようのない風景、搬送を終えて次の遺体を運ぶため泥水の中へ戻るともう新たな遺体が打ちあげられていた現状、医師による終わりのない死体検案の作業。筆致はぶれず、著者の余計な感情で細部を弱めることもなく、当事者の驚嘆と絶望が伝わってくる。

 読めば読むほど、あの悲劇でなにが起こっていたか、痛いほど知れてくる。

 遺体にフォーカスを当てた本書は、なによりも報道という上から目線の、災害から逃れた第三者の視線ではなく、そこに生き死んでいった人間を描出する「地べたの視線」を基本的な立ち位置とする。

 茶の間にむごい遺体の姿を送り込むことをメディアが差し控えた姿勢は分からぬものでもない。しかしそれは私たちから東日本大震災の全貌に対する手がかりを、明らかに奪っている。

 見えていなかったもうひとつの真実をこの本から受け取っていただきたい。