2006年08月号 『大阪ハムレット』1巻 森下裕美

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

大阪ハムレット (1) (ACTION COMICS)

ハード : 発売元 : 双葉社
ジャンル:コミック 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:森下裕美 価格:720円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2006年07月06日


『大阪ハムレット』1巻

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森下裕美 双葉社アクションC 700円

 歳の離れた夫と、その家族と暮らすアイコは家族の気配りや皮肉を重荷に感じながら不妊治療を続けている。「気晴らしのために」と犬をもらってきた夫に、真正面から問題を見ようとはしない姿勢を感じ、孤独感をつのらせる『名前』。女の子になりたいと思っている男のコが主人公の『乙女の祈り』『おんなの島』、偶然知り合った、8歳年上の女生と年齢を偽って付き合っている男子中学生の物語『恋愛』など、大阪を舞台に、それぞれ何らかの事情を抱えながら、それでも前向きに生きようとする人々の生を描き出す、連作短編集。

撮影/下林彩子 イラスト/古屋あきさ
 

もりした・ひろみ●1962年、奈良県生まれ。89年より連載された代表作『少年アシベ』は、アニメ化され、登場キャラクターの「ゴマちゃん」は人気を博した。他の作品に『ここだけのふたり!!』『ウチの場合は』など多数。


横里 隆

(本誌編集長。『テレプシコーラ』がすごいことになっています。山岸さん宅で今号のネームを受け取って、その場で泣いてしまいました。六花ちゃんがんばれー)

大阪弁ならではの許容と包容
あまたの矛盾を包み込む泣き笑い

思えば藤山寛美が好きだった。小学生の頃、毎週テレビで放映される彼の舞台を、大笑いしながらやがて泣き、夢中になって観た。登場人物たちは弱っちくて情けなくて、笑ってもらってナンボだと自覚していて、でもみんな人懐っこくてふところが深くて、情に厚い泣かせる人々だった。そんな舞台上では大阪弁が飛び交っていた。大阪弁はいい。言葉の奥に許容と包容を持っていて、悲しみや過ちを笑い飛ばして受け止めてくれる。ネガティブなものを隠すのではなく、目の前にさらしてネタにして笑う。なんて強くてしなやかな言葉だろう。もちろんそれは大阪という土地柄でもあるのだろうが、その特性は言葉に象徴され、集約される。そしてこの作品は“大阪弁マンガ”だと感じた。収録短篇にはどれも“はぐれ者”が登場するが、彼らは決してはぐれていない。しっかりと居場所を獲得して生きている。人を繋ぎとめる力が大阪弁にはあって、それは読む者を救う力になる。ちょっとやそっとの文学作品では敵わない、泣けて元気になる“大阪弁マンガ”なのだ。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

「しんどいのはアタシだけじゃない」
と心底思える浪花節コミック


人生、本当に思うようにいかない。普通に生きているだけなのに、つらいことがたくさんある。自分の生きたいように生きることがどうしてこんなに大変なのか——そうお嘆きの貴兄に薦めたいのが本書である。『大阪ハムレット』は表題作のタイトルだが、全編“悩める大阪人”の話なので、包括したいいタイトルだと思う。大阪弁のノリと濃い口(顔)のキャラとベタでまっすぐなストーリーは妙にあいまって胸にストンと落ちてくる。「ボク女の子になりたいと思てます」とみんなの前で宣言してしまった小学生、子供に恵まれないために気持ちがすれ違う年の差夫婦、15歳なのに父親のようになってほしいと彼女に言われ努力する少年、悩みの大小はあれど、みんなみんなシンドイ。しかし、誰もがシンドイのは自分だけでないことを知り、自分と違う他人をしっかり認めて、その人を思いやれる強さと温かさを持っている。美味しいもんでも食べてガンバロウと思える浪花節コミックである。


関口靖彦
( 毎夏恒例のイベント
「怪談之怪with幽」、今年は8月26日に京都で開催します。詳しくは本誌205ページへ!)

夢の国「大阪」を舞台に、
作者が描き出そうとするものは

神奈川で生まれ育ち東京で働く自分にとって、「大阪」というのは一種のネバーランドである。独自の言語と価値観を持つ人々が暮らし、深い情とまっすぐな行動力が熱いドラマを生む毎日……私が知っているのは現実の大阪ではなく、数多くの本と映画で描かれた「大阪」だ。言ってみればナルニア国みたいなものである。そしてそんな「大阪」のエッセンスを凝縮したのが本書だと感じた。さすがに魔法使いやモンスターは出てこないが、リアルかというとちょっと違うのだ。ありそうな出来事と、どこかにいそうな人物が、ありえないくらいにきっちり組み合わされて物語を構築している。それは嘘くさいのではなく、人の前向きな力を描き出そうとする作者の意志が、すみずみまで行き渡っているが故だ。傑作ファンタジーが人間の本当の姿を描くように、この「大阪」には真の情感がこめられている。


波多野公美
(先月購入したiPod、
メカ?に強い編集長指導の下、大活躍しています。80 年代ロックに浸る毎日)

素直にやりとりされる
あたたかい思いやりが心地いい


「女のコになりたい」男のコ、母親が身ごもった子の父が誰か疑う息子、子供ができない夫婦、大学生と偽り23歳の女性と交際する中学生……主要な登場人物たちはみな、なにかしら日常に問題を抱え、それを素直に悩んでいる。周囲の人たちは、そんな彼らをあたたかく見守る。すべてのシーンがとても丁寧に描かれ、彼らの日々の中で繰り返されるちょっとしたうれしいこと、つらいこと、哀しいことが積み重ねられてゆく。素晴らしいと思ったのは、“無垢なやさしさ”が、さまざまな形で描かれているところ。打算もいじわるもなく、誰かとつながる心地よさ。素直にやりとりされる、あたたかい思いやり。描かれる“無垢なやさしさ”にふれるたび、胸がいっぱいになり、読み終わるまでに何度も涙がにじみました。


飯田久美子

(『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』にたくさんの読者ハガキをありがとうございます。未読の方もぜひ!)

人生の希望に対する
高感度の感受性

数年前、父親の会社が18億の負債を抱えて倒産した。人生も折り返し地点を過ぎ、おうちもお金も全部失くしながら、父は、でも家族がいると言った。人間ってそんなに弱くないんだなと思った。数年後、突然「ママとカフェを開くことにしたから」とアッケラカンとした電話がかかってきたときわかった、明るいってことは強さなんだなって。そして、人生の希望も絶望も神様か誰かに与えられるものでなく、感受し見つけ出すものなんだと。どっちの扉を叩いても開かない、そんな袋小路にはまっている『大阪ハムレット』たちはみんな、人生の希望に対する高感度の感受性をもっている。それは繊細で強い。どこにも出口を見つけられないとき、わたしは父と『大阪ハムレット』を思い出すだろう。そして、もうちょっとがんばれるはずだ、と自分を踏ん張らせるだろう。


服部美穂
(創刊から『ダ・ヴィンチ』を応援してくれた故・久世光彦氏の追悼記事を掲載してます。ぜひご覧ください)

ベタでこてこてなのがいい!
大阪のちょっといい話をぜひ

『大阪ハムレット』のユキオは、担任教師にその境遇をシェイクスピア悲劇のハムレットに例えられ同情されるが、「ハムレットなんかグジグジウジウジのただの甘えんぼちゃんやんけ!」と一蹴する。自分なりの方法で、おっちゃんとお母ちゃんとこれから産まれる弟か妹との関係を築こうとするユキオは、ハムレットより大人だ。本作に登場する人々はみな、自らの置かれた境遇に嘆いて立ち止まったりせず、あっけらかんと前を向いて歩いていく。逞しいのだ。そして、彼らを取り巻く大阪の人々がいい。『名前』の中で、泣いて謝る息子を殴り「自分の弱さ謝って済ますな!」と怒るお母ちゃんの姿にしびれた。4コマだけじゃない、森下裕美の魅力をぜひ。


似田貝大介
(『幽』怪談文学賞・短編部門にご応募いただいた皆さん、お疲れ様でした! 長編部門の応募締め切りは8月10日です)

包み込まれるように沁みる
優しく暖かい大阪の日々

大阪という地域には何か身構えてしまうものがある。それは私が関東で生まれ育ったからということだけではないと思うし、偏見でもないと思う。誤解を恐れずに言えば大阪は特殊な地域なのだ。言語を含む大阪の文化は、同じ日本とは思えないほど圧倒的な勢いを感じ、それに逆らうことも身を任せることもできないでいる私は明らかに意識しているのだろう。本作は大阪という特異な文化をスパイス的に使用するのではなく、メインディッシュとしてど真ん中に添えて物語が構成されている。6篇の物語に登場するどの人物はとっても魅力的で、台詞や動きの描写ひとつひとつが愛らしい。淡く切なく暖かいコテコテの大阪を見せつけてくれる青春グラフィティーだ。


宮坂琢磨
(『幽』5号がようやく発売! 青山墓地で寝たことも、もはや記憶の彼方)

シェークスピア悲劇を
笑い飛ばせる力強さ


関西圏出身の女の子に「本当にアホやな」と言われてゾクゾクしたことがある。イントネーションの問題だろうか。関西弁には特徴的な親しみやすさがある。『大阪ハムレット』というタイトルには、悲劇とこの親しみやすさの入り交じった、独特の感覚がある。しかし、実際に読んでみればわかるが、大阪気質が悲劇を吹き飛ばす、そんな力強さに溢れた作品だ。複雑で重い事情を抱え込んで悩み苦しむことが悲劇なら、この物語は悲劇ではない。そんな悩みを抱えていても、一歩前に踏み出すからだ。作中の「おっちゃんごっつシンプルで ナイスやで」は、あえて割り切ることのできる強さを感じさせるセリフだ。


奈良葉子
(芥川賞候補作に選ばれた本谷有希子さんの『生きてるだけで、愛。』がとにかく素晴らしくて、思い返すたび泣けて困ります)

なりたい大人が見つかりました


本書は、大阪の下町を舞台とした連作集で、いわゆる世間で言うところの「タブー」が、各話ごとに出てくる。第2話と第6話に登場するヒロ君は、“女の子になりたい”いわば性同一性障害を持つ男の子だ。しかし両親をはじめ彼(彼女?)の身近な人たちは、その事実を決してタブー視することがない。めんどくさくて、ややこしいことも承知のうえで、まるごと受け止めヒロ君を支えようとする。それも、何か特別なことをしたり言ったりするんじゃなく、関西特有の絶妙な“笑い”をはらんだ「日常」の範疇で、ごく自然にやってのけるのだ。三十路を迎える前に「そうか、本当の『大人』って、こういう人たちのことだったのか!」と気づかせてもらえて、本当に良かったです。

イラスト/古屋あきさ

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