2006年03月号 『凍りのくじら』 辻村深月

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

凍りのくじら (講談社ノベルス)

ハード : 発売元 : 講談社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:辻村深月 価格:1,040円

※最新の価格はストアでご確認ください。

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2006年02月06日


『凍りのくじら』 辻村深月 講談社ノベルス 1040円

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藤子・F ・不二雄に心酔する女子高生、芦沢理帆子は、藤子・F・不二雄がSF を“すこし・ふしぎ”と解釈したことに着想を得て、出会う人々の印象を“SF”にあてはめている。わかりあえない自分の母に対しては“少し・不幸”。元彼の若尾は“少し・腐敗”。そして、多くの人々に囲まれながら、孤独を感じる自分のことを“少し・不在”と考えている。ある日、学校の先輩を名乗る、別所あきらに「写真のモデルになってほしい」と頼まれる。今まで出会ったことのない、不思議な彼の印象は“少し・フラット”。彼と出会ったことで、物語はゆっくりと回り始める……。

撮影/冨永智子

つじむら・みづき●1980年生まれ。『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞し、デビュー。他の著書に『子どもたちは夜と遊ぶ』がある。


横里 隆

(本誌編集長。手前ミソですが、今月17日刊行の『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』は、落涙必至!のプラチナ感動ノンフィクションです。大野さん、岡田さん、川名さん、ありがとう!)

少し不思議で少しやさしい 少し絶望で少し希望


彼女は“どこでもドア”を持っている。『ドラえもん』のアイテ
ムのように、どこでも好きな場所へ行けるものではなく、どの人の集団にも入り込める技術がそれだ。彼女は言う「愛想よくバカの振りをしながら。親身になって話を聞いて、いい人ぶりながら。どこでも行けるし、どんな場所や友達にも対応可」だと。しかし一方で「どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない」と言う。そして自らの属性を“少し・不在”と言う。彼女は、人の特性を“スコシ・ナントカ”に当てはめて捉えるのだ。彼女の周囲を“少し・不安”“少し・フリー”“少し・不完全”な人々が取り囲む。世界のすべてを“スコシ・ナントカ”と認識することで、現実の複雑さや分かりにくさを言い当てたような気になる。そして社会とも他人とも“少し”しか繋がらない。保身しつつ、世界を見くびっているのだ。その姿はかつての僕だ。本やマンガの中だけに居場所を見出す彼女は、僕でありあなただったはずだ。この物語は、そんな寄る辺なき不在の理帆子が世界に着地するまでを描く。そして、浴びるだけでどんな場所にも適応できるライト“テキオー灯”の希望の光で読者をも照らす。作品自体があたかも四次元ポケットのような、少し、ではなく、すごい傑作なのだ。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

生きることへのぎこちなさに惹かれる青春小説

どこにいてもそこを自分の場所だとは思えない」理帆子、こうい
った“少し・不在”感は、実際多くの人が感じている。「とりあえず、笑っとけ」とその場をやり過ごし、毎日を生きている私たち。ただ、彼女の孤独の淵が思った以上に深いことを知るのは、“少し・腐敗”の元カレ・若尾との関係をなかなか断ち切らないことによる。「自分は他人とは違う」と感じる幼さ。理帆子自身も自分の中に若尾がいることを無自覚に自覚しているのだ。そういった生きることに対するぎこちなさや痛々しさが、この本の魅力なのかもしれない。自分が高校生だったとき、確かに苦しんでいた。もがいていた。そんなとき、別所あきらのような存在が現れたら、どんなにありがたかったろう。読み終わったときに、凍りに閉じ込められたくじらのエピソードがいろんなシーンとつながっていることに気づく。『ドラえもん』と同じように何度となく読み返したくなる、不思議な本である。


関口靖彦

(いしいしんじさんの弊誌連載『本当のしごと』が本になりました!『雪屋のロッスさん』というタイトルで、刊行記念イベントもあります。詳細は本誌62ページへ)

ふだんノベルスは読まない、そんな人にこそ薦めたい


まず、講談社ノベルスだからミステリーファン向けの本でしょ?
という先入観を捨ててほしい。サプライズは用意されているしその伏線も周到だけれど、読後に胸に残るのは、謎解きの快楽ではない。それから、『ドラえもん』がモチーフになっていると聞いて、記号的なキャラクターや、オタクっぽい雰囲気を想像しないでほしい。本家『ドラえもん』はそんな作品じゃなかったし、この本はその本家の持っていた魂を、まじめに受け継いでいるからだ。ではその魂とは?と考えると、人の前向きな力を信じる、という“決意”ではないかと思う。前を向くことを阻害する弱さが、自分にも、誰にでもある。前を向こうとしても失敗に終わることは多い。そうしたことを全部わかったうえで、それでも前を向こうとする“決意”。安易な楽観ではない。困難な道と知ってなお進む、まっすぐな力を、この本は思い出させてくれるのだ。


飯田久美子

(『メイク・ア・ウィッシュの大野さん』という本が2月17日に発売になります。たくさんの人に読んでほしいです。詳しくは本誌139ページに!)

かわいいけど、さみしい結末


なんとなく苦手な種類の話じゃないかと思って読み始めた。理帆子もすごくイヤなコに思えたし。けど、気がついたら、一気に最後まで読んでいました。イヤなコに思えたのは、たぶん思い当たる節があるからなんだろうと思う。(あるんじゃないかと思ってしまうくらい、理帆子の気持ちが細やかに描かれていました。)だから、別所くんとの時間のなかで、いつも“不在”ぶってる理帆子の実存が解きほぐされていく過程には、本当に救われる気持ちがした。でも、というか、だからこそ、あのラストはわたしはとても悲しかったです。ああいう女の子にとっての、救いや居場所って、やっぱり結局それしかないの?と思うとすごくさみしい気持ちがした。でも、苦手かなと思ったまま食わず嫌いですませなくて本当によかったと思います。読み終わってすぐ、辻村さんの他の本を買いに本屋さんに走りました。


似田貝大介

(最近「だれでもトイレ」という、まるで“ひみつ道具”のようなネーミングの公衆便所を見かけた。せっかくなので今度使ってみようと思います)

思春期の・不安定さは儚く切ない・不条理に満ちている


『ドラえもん』の“ひみつ道具”という“すこし・ふしぎ”な設定が、とてもリアルな現実世界にうまく組み込まれた物語。「人とは違う自分」という自意識によって、周りとの距離を置いてしまう。それが深い孤独感に結びつき、醒めた目で見る世界は哀しみに満ちている。そうしたヒロイン・理帆子の考え方に、始めは戸惑いと嫌悪を感じたが、別所との出会いや元カレ・若尾とのやりとりによって理帆子の気持ちに変化が見えてくる。理帆子の思いは、冒頭の「白く凍った海の中に沈んでいくくじら〜」が語る、人という存在の小ささと大きな希望の中で揺れる葛藤なのだろうか。それが顕著に表れた若尾の狂気じみた行動に、つい共感してしまった……。


宮坂琢磨

(「僕をSFで言うと『少し・太り気味』だね」と言ったら、「『すごい・太い』だ」、と一言)

成長する理帆子の深い陰影


人より周囲がみえすぎるが故に人から孤立する理帆子。自分が特別だと信じ、無自覚に人を馬鹿にする若尾。孤独を抱える理帆子の物語は、若尾が陰影にあってこそ、深まっていく。自分の中にある孤独を若尾の中に見つめ、彼から離れられないでいる理帆子。彼女が周囲との人間関係を見つめ、成長するごとに、同じように彼女の闇の部分を背負った若尾は、非常にわかりやすい形に堕落していく。周りの人々の助けから孤独から脱却する理帆子は美しい。が、彼女が救ってあげられなかった若尾、人身御供になったともいえる若尾に、幾ばくかの救いがあってほしいと願ってやまないと思う自分がいた。


堀田香織

(明智抄さんの絶版作品が次々と文庫で発売さて嬉しいです。あの世界観はクセになります)

実はみんな未来の道具を使っているのかも


理帆子は壊れていく元カレ・若尾のことを別所に話すときに『ドラえもん』の道具を次々当てはめるけれど、自分自身も気づかずに道具を使っていないだろうか。理帆子がSukoshi Fuzai なのは、連日飲み会に行っているのは実はコピーロボット(これは『パーマン』の道具だけど)で、家に帰ったロボットから、飲み会の記憶だけ手に入れているように私には思える。だから飲み仲間のカオリや美也の警告が理帆子に届かなかった。そんな風に、状況や現象に道具の名前を当てはめることが“呪”(カワイソメダル)になったり“救い”(テキオー灯)になったりするのは、正しい使い方をしないと、時には悲劇を招く未来の道具たち自身に似ている。自分も気づかないうちに『ドラえもん』の道具を使っているのかもしれない。

イラスト/古屋あきさ

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