2005年12月号 『その日のまえに』 重松清

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

その日のまえに

ハード : 発売元 : 文藝春秋
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:重松清 価格:1,543円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
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さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2005年11月05日


『その日のまえに』 重松 清 文藝春秋 1500円

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 自身の余命があと三カ月と告げられた俊治は、衝動的に小学校の頃の思い出の浜を訪れる。幼い頃、海に消えた同級生、そしてその両親を思い出しながら、自分が死に向かうことをゆっくりと認識し始める「潮騒」。
 余命いくばくもない妻を連れ、最後の思い出にと新婚時代に過ごした土地を巡る夫。指でなぞるように二人で過ごした時間を刻みつけようとする夫婦を描く「その日のまえに」。そしてついに訪れる「その日」。妻の死をゆっくりと受け入れていく家族を描く「その日のあとで」。
 誰にも必ず訪れる死。“その日”を巡る7 つの短編。

しげまつ・きよし●1963年、岡山県生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。91年『ビフォア・ラン』で作家デビュー。99年『ナイフ』が坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞。『ビタミンF』で第124回直木賞を受賞する。


横里 隆

(本誌編集長。ものを表現するのは怖い。今も毎号震えながら本誌を作っている。スナフキンなら言うだろう。「つまりそういうものなのさ」と)

この主題で泣いてたまるか!果たして号泣……完敗でした


泣く覚悟を持って読み始めた。重松清が、死と向き合うことを主題として書いた連作短編と聞いただけで、読めば否応なく“泣き”の感情に押し流されてしまうと想定できたからだ。けれど、安易には泣きたくなかった。涙に曇った眼で主題の奥にあるものを見逃したくない。だから初めから「泣くぞ泣くぞ」と身構えて読むことで、出会い頭の“泣き”を回避して感情をコントロールしようと思ったのだ。「泣く覚悟」とは「泣かないための予防策」と言い換えてもよかった。準備は万端だった。しかし、読み始めてみて驚いた。そこには“死と悲しみ”から大分距離をとった、微かな感情の揺れだけが描かれていた。意外性とともにそれがグイグイ沁みてくる。うまい! うますぎるよ重松さん! こんなことされたら、僕はもう正気になってしまう〜と悲鳴をあげながら読み進めた。すると次第に物語は“死”との距離を詰め始め、あろうことか、救済を象徴するアニミズム的な存在までも登場し始めた。もうだめだった。滂沱の涙が止まらなかった。あとはもう“その日”の支度として、素になって読むばかりだった。


稲子美砂
(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

日常は「その日」に向かっている


漠然としてとらえどころのない死というものについて、極めて具体的に考えさせてくれる本だと思う。自分が死ぬことの意味、身近な大切な人の死を受けとめなければならなくなったとき、どうやって何を考えればいいのか。その人のために何をしてあげることができるのか。死とは「喪う」ことで、なぜそれはそんなに哀しいのか苦しいのか。重松さんは“その日”を迎える人とその家族、彼らを取り巻く人の心情を丁寧に細やかに描いていく。その筆致は実に淡々としていて、涙があふれるというよりも深く心に沁みてくる。読む人の年齢によってこみ上げる思いはさまざまだろう。


関口靖彦

(今月個人的に楽しませていただいたのは、牧野修さんの長編『記憶の食卓』。こちらはカニバルかつサイコなストーリーで、人がばんばん死にまくります)

まるで、眠る前の一杯のお茶。おだやかに胸に沁みる物語


身の回りの人が死ぬ。そうして残された人の視線を、すこしずつ切り取った連作短編だ。あくまで“すこしずつ”で、切り取り過ぎないところが職人芸。死というものの手ざわりをきちんと描きながら、しかし傷口に指を突っ込み引き裂いて、痛みの核を見せつけるようなことはしない。むしろそこにあるのは、死の衝撃が、時とともに受け入れられていくおだやかな過程……“記憶の中の死”とでもいうべきものだ。だがそれこそが、ほとんどの人間にとっての“死”ではないか。刻一刻、目の前にあるのではなく、一瞬の衝撃のあとにやがて“記憶”と化し、長く向きあっていくもの……そんな死の物語たちは、どばどば涙が出るような“ドラマ”ではなく、じんわりと胸に沁みるような“日常”の温かさを与えてくれる。


波多野公美

(年に一度のお楽しみ、けらえいこさんの『あたしンち』11巻が発売されました! ←この巻から編集を担当。帯はなんと、角田光代さん! 眠る前に読んで、ほっこりしてほしい一冊です)

深い哀しみを知るのは愛することを知る人


この本には、さまざまな形の「死」が連作短編という形で収められている。『のだめカンタービレ』では泣けても、『タイタニック』では泣けない私は、泣けないかもしれないなあ……と、すこしあまのじゃくな気持で読み始めた。けれど、「ヒア・カムズ・ザ・サン」(一番好きな話でした)で涙がこぼれてからは、最後までずうっと、読みながら涙が止まらなかった。この本で描かれていたのが、「死」そのものというよりも、それをどう受け止めるかという「愛」の形だったからだと思う。愛する人を失うのは本当に恐ろしいことだけれど、まず「愛」がなければ、失うこともできない。深い哀しみを知る人は、愛を知る人なのだと、あらためて思った。

飯田久美子
(来年の目標は泣かないこと。1 �以下に抑えたい)

「誰か」を失うのが、怖いのは……


それがどんなに突然でも、理不尽でも。「死」によって、嫌われ者が悲劇のヒロインにならないし、微妙な年頃の息子が母親に素直になれたりしない。泣いたらこの本に失礼かもしれないと思いながら読んだ。この本の中で「死」はドラマでなく日常だったから。と、ここまで書いて、昔読んだ、重松さんの『きみの友だち』も好きだったので、そのことも一緒に書かせてください。「誰か」を失うのが怖いのは、誰かを大切に思うからなのか、自分が1 人になるのが怖いのか。問わずにはいられなかった。たとえば「潮騒」の少年みたいに、自分のことを忘れてしまってもどこかで生きていてほしいと思えるか。たとえば『きみの友だち』の少女のように、一緒にいなくても寂しくないと思える友だちが一人いればいいと思えるか。問うべきなのは、誰かを「わたしの友だち」といえるかでなく、わたしを「きみの友だち」といえるか、なんだと思った。混ざってしまってすみませんが、2 冊読んでそう思いました。


似田貝大介
(12月に発売予定の『幽』4号。今回は雨の山に登ったり、廃墟で夜中に怪談会を開いたり……。着々と進んでいます、ご期待ください!)

ちょっとでも後悔しないようにいまを強く生きていたい


絶望のふちに立たされながらも、最期の“その日”まで懸命に、前向きに、生きる人々の物語を描いた本作。人生の終焉が突然目の前に現れたとき、それが自分自身に起こることではなく、自分の大切な人に起きたときを考える方がずっと辛く、それは、とてつもない恐怖でもある。軽い風邪をひいたときですら感じる「健康に生きることの素晴らしさ」。自分は多少の無理をしていても、大切な人はあまり無理をしないでいてほしい。いつまでも元気に幸せでいてほしい。そのためにはやっぱり自分にも、もう少しだけ優しくしてみたっていいかもしれない。よし、人間ドックに行こう!


宮坂琢磨
(実家の本が処分される。今となっては入手が難しいモノもある。救出に行きたいが、ヒマがない)

“死”が訪れるその日のまえに何を残せるのだろうか

自身の死を見つめているこの短編の登場人物は、余命の間に、何を残せるのかを考えている。「ヒア・カムズ・ザ・サン」は既に息子に何を残すのかを考え始めている母と、母の病に抗おうとする息子の物語だ。息子に対する、母親のちょっと自分勝手だけど優しい想い。それは強ければ強いほど、息子に哀しみを呼び起こす。母から何かを受け取り、少しだけ成長した息子の姿に、死んで受け継がれる何かを意識させられた。余命という概念を、生き物が子どもを残せなくなった瞬間からとする、という説を聞いたことがある。その意味では多くの人が余命を過ごしているけれど、人間は想いや心を残すことができる。それは素晴らしいことだ。

イラスト/古屋あきさ

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