犬好きにはたまらない冒険小説

小説・エッセイ

公開日:2013/4/26

犬 笛 ─ 犬 笛

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 徳間書店
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:西村寿行 価格:594円

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西村寿行といえば忘れたいにも忘れられない悪夢のような映画がある。同名小説が原作の『君よ憤怒の河を渉れ』という東映映画だ。主演は高倉健。夜の新宿を30頭の馬が駆け抜ける人騒がせなシーンが最大の呼び物であったのだが、爆走する馬たちが通りを大きく右へと曲がるシーンで、一頭の馬がアスファルトに滑り蹄鉄をはじき飛ばしながら横ざまに倒れたのである。かわいそすぎる絵柄ではあるまいか。蹄も割れたかもしれないとすれば、その馬の将来がひどく偲ばれた。だいたい舗装道路の上を馬に走らせること自体無茶だろう。映画さえできがよければという考えがいやだった。あの残影はいまもまぶたの裏によみがえる。

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そういうわけで、西村寿行は動物を登場させるのが大変にお好きな冒険小説作家であった。特に犬。人に忠実で賢いけなげな犬と、人間との交流を描くのである。

かつてハンティングを趣味としていた秋津四郎の娘・良子は、人間には聞こえぬはずの5万ヘルツの音を聞くことができた。良子はある日自宅近くの公園で男の他殺死体を見つけ、そのショックで記憶喪失となったまま何者かに誘拐されてしまう。警察の捜査が遅々として進まぬ中、良子が身につけている犬だけに聞こえる笛、ゴールトン・ホイッスル(犬笛)の音を頼りに、秋津は愛犬・鉄とともに死地をくぐり、出会ったさまざまな人とのドラマを繰り広げつつ、日本縦断の探索行を続ける。

西村寿行は60年代から70年代にかけての超売れっ子作家である。79年の高額納税作家第1位になっている。いまの東野圭吾くらいではないか。月産の原稿用紙枚数が800枚だったという。

この小説の面白さ、それはまあ冒険小説の面白さでもあるわけだが、話がどんどん広がっていく点にある。広く一般にミステリーということでいえば、物語の進行とともにふつうは世界が急速に縮んでいく。

たとえば書斎で死体が発見される。このとき犯人はほとんど「誰でもいい」。誰でも該当者になれる。早い話インドのマハトマ・ガンジーでもかまわない。死体の向こうに広がる世界は無限である。ところが関係者の聴取を進めれば進めるほど容疑者は絞られ、家庭内のもの、使用人、女性といった具合に絞り込まれてゆくとき、小説の世界はどんどん狭められてゆく。最後に真犯人を探偵が指摘するや、その世界にはもうたったひとりしか住んでいない。つまりミステリーは結末に近づけば近づくほどときめかなくなるのだ。

本書はその危険を避けるため、物語に次々と新しいエピソードをつぎ込んでみせる。それは心理的な広がりを更新していくし、物理的にも長野、北海道、山陰、日本海へと主人公は果てしなく彷徨する。

もうひとつ、犬好きにはたまらない1冊でもある。

ダン・ローズの『ティモレオン』や古川日出男の『ベルカ、吠えないのか』で涙のにじんだ方には特におすすめである。


少女はいつも愛犬鉄を連れて散歩に出ていた

鉄が良子の異変を知らせに走ってきた

秋津は鉄を心強い味方として報復の旅に出る