2005年05月号 『告白』 町田康

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

告白

ハード : 発売元 : 中央公論新社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp
著者名:町田 康 価格:2,052円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2005年04月06日

『告白』 町田 康 中央公論新社 1995円

purachina0505.jpg 安政4年、河内国(現在の大阪南東部)で百姓の息子として生まれた城戸熊太郎は、幼いある日、「親は自分を誉めそやすが、実は他人より劣っている」のに気付いた。熊太郎はこの思弁的な自我と劣等感から、世間とうまくコミュニケーションできないまま成長し、やがて周囲の人間からは偏屈者、阿呆として扱われる。いよいよ世間からはずれた熊太郎はやくざ者に身を落とすが、自分と正反対の人間、熊次郎に、何かというといいように利用されてしまう。熊太郎はやがて、熊次郎とその親族、10人に及ぶ大量殺人を、博打仲間の谷弥五郎と共に起こすのだが……。

 本作は、今も河内音頭として唄われる史実「河内十人斬り」をモチーフに新聞連載小説として描かれた。作者の奔放な想像力が、「人が人を殺す」心理を鋭く抉り出す。

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まちだ・こう●1962年大阪生まれ。97年にデビュー作『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2000年に『きれぎれ』で芥川賞、01年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、02年『権現の踊り子』で川端康成文学賞を受賞。著書に『爆発道祖神』『パンク侍、斬られて候』など多数。


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横里 隆
(本誌編集長。この4月でダ・ヴィンチも創刊11周年を迎えました。皆様の応援に感謝! 本やマンガの持つ魅力に大感謝!!)

笑いながら読んでいたら
いつしか泣いていた

僕たちは、いつも何かを誤魔化しながら生きている。まぁいいやとか、仕方ないかとか。そんなふうに鈍感にならなければ乗り切れないことが現実にはたくさんある。常に敏感で正直に生きようなんて考えたら割を食ってひどい目に合う。そうして蓋をしてきた素直さを、濃密度に凝縮した人物が熊太郎だ。熊太郎は子供のときから思いと言葉が一筋につながらない違和感にさいなまれてきた。それは繊細な感受性を持つがゆえの違和感だ。自分自身を誤魔化しきれない彼は、社会のワクから外れて無頼者として生きていく。彼の生きづらさは、そのまま今の時代を生きる僕たちの迷いに通じる。だからこそこの作品を愛しいと感じ、熊太郎が熊太郎としてしか生きられない世界は狂っていると思った。狂った世界の中で熱狂のダンス(殺戮)に耽溺する瞬間、熊太郎はようやく思いと言葉がつながって何かを掴んだ気になるが、醒めた後に襲い来る現実は容赦がない。ワクを外れるということは、ハレとケの振り子も振り切れるということか。すさまじい。熊太郎のどうしようもなさを笑いながら読んでいたらいつしか泣いていた。既存の文学をも振り切ったものすごい作品だ。


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稲子美砂
(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

熊太郎とともに
自問自答を繰り返した
ぐるぐる小説

「なんで嘘をつくんじゃ。お前らが見え透いた嘘つくから、俺はこんなこと、俺はこんなことせんならんのじゃ」――人助けと信じて田杉屋にのりこんで拳銃をぶっぱなしながら、涙を流して絶叫する熊太郎。子供時代にふとしたことで犯してしまった殺人のうしろめたさ、やりなおしたい、正しく生きたい。そんなリセット願望が熊太郎を突き動かす。功徳を積もうとして行動し、結果、人に利用されて自己嫌悪。そんな彼の気持ちの「ぐるぐる」がラストシーンに向けて高まっていく。「嘘をつくな」という叫びはそのとき――。せつなかった。誰もが感じる熊太郎のようなもどかしさ、彼が行き着く境地の吐露を読んだとき自分の心の中を見透かされたような気になった。明治を舞台に描きながら、非常に現代的な小説。


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岸本亜紀
(怪談、ミステリーを担当。『幽』2号が出ました。充実のラインナップ。真冬の怪談、なかなかいいですよ。全国の書店、ネット書店で好評発売中)

誰にも真似できない
パンク小説。
町田康の傑作の誕生だ!

すごい作品だった。町田 康は、やっぱり正統派のパンクだった。一見キュートに感じられるけれども聞けば恐ろしい河内弁でなされる会話は、パンキッシュなラップ(なんじゃそりゃ!)で、破滅を予想させる小説の世界にぐいぐい私を引き込む。そして村中にダメ男と思われているけれど、実はいいヤツな主人公の熊太郎。こいつの根が純粋で正直だから物語は効いてくるのだ。うまい。物語の途中、葛城の一言主の神様や鬼神などがひょこひょこ顔を出し、不穏な空気が流れるが、物語はラストで大きな展開を見せる。いやはやすごい。読んでだまされて快楽。町田さんすごいワとひざを打ち、小説の持つ破壊力を知るのであった。面白かった。


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関口靖彦
(この時期、花見のことで頭がいっぱいです。機を逃すと、桜はすぐに散っちゃうから)

本当、嘘、勝ち、負け、生、死。
凄まじい本を読んでしまった

読み終えてぐったり。おれごときの精神では、正気を保っているのがやっと、という重たい一撃だった。町田作品の文章が持つ、流れるようなリズムのよさは周知だと思う。だが、それは「するする読める」などという生やさしいものではなく、地響きのようなうなりをあげて暴走するダンプカーに、巻き込まれ引きずられミンチにされる感覚だ。肉体や飾りや鎧は粉砕され、魂だけを連れて行かれてしまう。人間の生の根っこにある、見ないでおきたいもののところへ。ラスト、熊太郎の魂と読者の魂はまったく同じように、人間の狂熱を見つめるしかない。これが小説というものか、と思った。こわかった。


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飯田久美子

(さとう珠緒編集長のもと、バカブックガイドをやりました。本好きのみなさん、怒らないでください)

厚いけど、がんばって
最後まで読んでください

子どもの頃、町に計算おじさんという人がいた。独り言を言いながら、宙に(たぶん心の黒板に)何か計算式のようなものを書きつけては、消す、ということをえんえんくり返しているおじさん。「東大受験に失敗したから」「火事で妻子をなくしたから」諸説あったが、外界と相容れないそのさまは嘲笑の対象であり、畏怖の対象でもあった。町田康の小説を読むと、いつも計算おじさんを思い出す。しかし、嘲笑と畏怖の対象であったはずの熊太郎が、奇妙なリズムに乗せられて読み進むうちに、いつしか自分になっている。河内音頭の狂熱に乗せられていつのまにか熊太郎が踊り狂っていたように。「ええっこんなに厚いの?」と思ったけど、がんばって最後まで読んでよかったです。


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宮坂琢磨
(腹回りでズボンを合わせようとしたらサイズが無いといわれた。裾は30センチもあまっているのに!)

流れるような文章がもたらす
絶望的な寂寞

誰もがそうかもしれないが、僕は自己欺瞞の鎧を十重二十重に着込んでいる。何故それを自己欺瞞として認識しているかと言うと、自己を欺瞞して演じているはずにもかかわらず、世間とうまく繋がれないからだ。最早、改善の方法もわからん。本作の主人公熊太郎もあるべき自分の姿を求めて、自己欺瞞をくりかえす。それでも「思いと行動と世界」が、決して一直線に繋がらない。必死に考え、言葉を紡ぎ、さまざまな自分を演じても、他人、ひいては世界と永遠に繋がれない。そして、自棄で自虐な行動を起こすが、それすらも、どこか人ごとのように見ているという、合わせ鏡のように主観客観が入り交じる地獄に迷い込む。それをさらに別の自己欺瞞で補う最悪な循環。読んでいて叫びだしたくなる。結局、思弁的な熊太郎は、殺人という究極に情念的な行動を選択するのだが、彼のその後の行く末を様々な人に読んでもらいたい。僕は自分と世界との間に存在する、深くて真っ暗な溝の存在を感じた。


イラスト/古屋あきさ

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