SF小説の骨格を借りた究極の言葉の新しさ

小説・エッセイ

公開日:2013/6/23

天使

ハード : PC/iPhone/iPad 発売元 : 文藝春秋
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:電子文庫パブリ
著者名:佐藤亜紀 価格:637円

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第一次世界大戦勃発前夜のヨーロッパが主な舞台。養父とともにブタペストで貧しく暮らす少年ジョルジェは異能の持ち主であった。養父の死後「顧問官」と呼ばれるアルトゥール・フォン・スタイニッツ男爵の元に引き取られ、「感覚」と称される能力を開花させるべく、ウィーンで育つことになる。「顧問官」は、人を動かし、記憶を探り、また逆に記憶を植え付け、脳を破壊し、さまざまな能力を身につけた人間を差し向ける組織をあやつっているのだ。ジョルジェはみずからの「感覚」に嫌悪感を抱きながらもやがて青年となり、ペテルスブルグへボスニアへと派遣されていく。19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパのデカダンの波の中に描かれる、歴史の裏側を彩った『サイキック・ウォーズ』。

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と、おおざっぱなあらすじを書くと、すぐにでもダウンロードして読まなきゃと思う方と、なんだ新しいとこ1個もないじゃないと思う方と、2ついらっしゃるだろう。黄昏の欧州に展開する超能力美少年の暗躍譚というやつを型に取ったような話だからだ。が、どちらも正しくてどちらも間違いなんである。

話は少し遠回りをする。

スティーヴン・キングの『ファイヤー・スターター』という長編は、自然発火を念じることで起こさせる少女の物語だが、その父もやはり超能力者で相手の頭の中を「押す」ことで思い通りに動かすことができる。スティーヴン・キングらしく、物語の展開はスリリングで、少女が作り出す巨大な火球のすさまじさはヴィジュアルに描き混まれている。

そこで振り返れば、『天使』には起承転結というものがほとんどない。エピソードは大量に詰め込まれているが、それらが構造的に手に汗握る流れを作ってはいないのだ。ではなにを読むか。文章である。読み手が荒々しい物語の急流にさらわれて「小説を読む」ことを忘れてしまわないために、あえて作品に山や谷を作っていないのだ。逆に言えば、それだけこの小説を構成する言葉は美しい。言葉のにおいに敏感な読者なら耽溺するだろう。通俗的な設定の中に言葉の新しさを試みているわけである。

それから「スキャナーズ」というホラー映画があった。デヴィッド・クローネンバーグ監督のこの映画は、他人の頭の中をスキャンできる超能力者が登場するのであるが、その能力を検証する席上でもうひとりの超能力者とスキャンし合うことになる。やがて顔が紅潮し血管は浮き上がり形相すさまじく、ついに相手の能力者の頭が風船のように吹き飛ぶ。クローネンバーグはここで「身体の変容」っつう七めんどくさいテーマを撮っていると思われるのだが、「天使」にはそういったサービス精神がない。読者に実に邪険なのである。

時代背景の説明はないにひとしい。人物の外観描写もチャラッとはぶかれている。かわりに、能力の発動状態がネチョネチョするくらい執拗に深く微細に書き込まれている。ちょっと気持ち悪くなってくるほどだ。登場人物のではなく、読み手の感覚と身体が変容しそうな具合なのである。

小説を好きな人の小説である。


ジョルジュはバイオリン弾きの父と暮らしていた

父の死後「顧問官」の屋敷に引き取られることに

ジョルジュは自分の「感覚」を疎ましいと思っていた