ジブリ新作『風立ちぬ』のモデルになった「零戦」の生みの親による回顧録

小説・エッセイ

2013/8/15

零戦 その誕生と栄光の記録 (講談社文庫)

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夏真っ盛りの日本の8月前半は、戦争に関連した記念日が盛りだくさんだ。特に今夏は、本作品に描かれた堀越二郎をモデルに、日本のアニメ界の巨匠、宮崎駿が撮った『風立ちぬ』が公開され、初めて零戦のことを知った若い世代の人も多いのではないだろうか。

宮崎監督も、朝日新聞のインタビューの中で、「日本人が誇れるもの」のひとつとして、堀越の作った零式艦上戦闘機、こと零戦をあげている。零戦は、軽快の運動性や長航続力に優れ、重兵装で、当時の敵国であった英米からは「ゼロファイター(Zero Fighter)」「ジーク(Zeke)」と呼ばれ、とても恐れられたと言う。

太平洋戦争の初期に華々しい戦果を挙げた零戦は、米国がその圧倒的な経済力と技術力を背景に改良を重ね、零戦と互角に闘えるような戦闘機を作ってきたことや、日本の熟練パイロットが度重なる戦闘で消えていったこと、そして戦況の変化を受けて、南方からの原料の供給が激減したことなどを受け、当初の圧倒的優位性を失い、たくさんの日本兵を死に追いやった悲劇の戦闘機となっていく。

零戦の唯一の欠点は、「防弾の欠如」だった。当時の日本の戦闘機パイロット像とは、腕に磨きをかけた戦士が、軽快ないでたちで動きまわり、防具に身を固めた敵をなぎ倒していく、という剣法にも似た考え方が支配的であったという。零戦のこのような姿は、華々しい戦果をあげているときには賞賛されたが、戦後にはその防御力の弱さが批判の対象となった。この点に関して、開発者である堀越は、当初から海軍の要求の中で防弾の優先順位が非常に低かったこと、戦闘機を比較して優越を判断するのは難しい、と記述している。

堀越は、技術者の仕事というのはいつも厳しい現実的な条件や要請がつきまとうが、その厳しい枠の中で、徹底した合理的精神と規制の考え方を打ち破っていくだけの自由な発想力をもって、水準の高い仕事を成し遂げることが必要だと言う。この本の大半は、戦闘機を作り上げる技術者としての試行錯誤の自伝的な描写に費やされているのだが、私が関心があったのは、むしろ筆者が零戦の「戦果」や末期の「悲劇」を、どのように捉えているかだった。たとえば、「私は、千何百年来文化を供給してくれた隣国の中国でそれが験(ため)されることに、胸の底に痛みをおぼえていた」というような技術者としての葛藤の部分に深く考えさせられた。

本著では、零戦を生み出した日本の技術の伝統や技術者魂が賞賛されている一方で、戦後70年近くたった今を生きる読者の私は、タイトルにもあるような零戦の「栄光」は薄れ、どうしても零戦とそのパイロットが辿った悲劇を日本の敗戦と重ね合わせてしまった。技術者は、その技術はいったん手を離れたときに、それがどのように使われるか、自分のもたらした技術作品が人や社会にどのようなインパクトを与えるかについて、どれほどの自覚と責任を持つものなのだろうか。そして技術をどう使うかと言うことに関しては、原発問題を抱える現在の日本に住む私たちにとっても他人ごとではないだろう。その意味で、遥か昔の戦争とその敗北や、今の日本が抱える問題について考えるきっかけになる本だった。


物語の中には、映画『風立ちぬ』の中でそのまま使われている場面も(どこかは秘密!)

零戦=零式艦上戦闘機の「ゼロ」は、日本紀元の年号の末尾の数字をつけているという

『戦争末期、零戦に乗って多くの若者が体当たり攻撃を行っていたときの描写