スカイツリー直下といえど地べたに寝っ転がるのはいかがなものか
更新日:2013/9/17
70年後半から80年代にかけて、全国民を巻き込んだ一大UFOブームを仕掛けた矢追純一は、かつてこう言った。
「世の中がせせこましくなってきて、誰もがうつむいて歩いているから、みんなに空を見てもらいたくて」
しかし、円盤探して空を見るだけなら罪がないが、道ばたに寝転がるというのはどんなものだろう。きちんとした服装のおじさんがやおら道の真ん中に仰向けに寝転がる。痴漢だろうか。あるいは心臓発作か。だが口元には幸せそうなニヤニヤ笑いが漂っている。
ほかでもない、東京スカイツリーの足下の風景だ。
この巨大な建造物の下では、記念写真を撮るとき、タワーのてっぺんまで広い画角でとらえるには、寝転ぶのが最高のシャッター位置なのである。そのために、おじさんや、おばさんや、ろうたき娘さえ地べたに寝転がっている。本書をご覧いただければ分かるが、それは間抜けとか野暮とかのレベルでなく、かなり不気味ですらある。
もし、妻や家族の肩越しにスカイツリーの全体を収めた写真が撮りたければ、むしろ離れればいいのである。なにもわざわざ真下で取る必要はない。たとえば浅草あたりに移動して、望遠で撮れば思ったような絵柄になるはずだ。
だがどうしてもツリーの直下で撮りたいのだ、この人たちは。この情熱にかなうものはない。
そうやってスカイツリーを撮影している人を撮影したのがこの本だ。男一人だけで。女性一人だけで。大勢で。と章が分けられている。分けられていても写っているのは同じ事情だ。寝転がっていようといまいと、とにかくみんなこぞってカメラを空に向けている。珍奇である。
その光景は、あほくさいといえばあほくさいが、ある種のほほえましさが漂っているのも事実だ。「子供か、あんたらは」という感じ。だから、子供になってしまうのだろう、みんな、ツリーの足元に立つと。いい大人が子供に返っている風景には、「許せる」感触がある。
ヨーイ、パチッ
カメラの中に何かあるのか
ミニスカはまずかろう
わたしもスカイツリー