確率の問題が語る「理」とは? 明智光秀の悲哀と希望を堪能せよ!

小説・エッセイ

公開日:2013/10/14

光秀の定理

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android 発売元 : KADOKAWA
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:垣根涼介 価格:1,728円

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物語の冒頭に、こんな博打の場面がある。伏せたお椀が4つに、小石がひとつ。お椀のどれかに小石が入っている。子は、どれに入っているかひとつを選ぶ。親は、小石の入っていない椀をふたつ開けてみせる。残る椀はふたつ。ここで子には、選択を変えるチャンスが与えられる。さて問題。子は、最初の選択を貫いた方がいいか? それとも変えた方がいいか?

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何の話だと思われるだろうが、この博打が歴史小説『光秀の定理』のテーマと密接に関わってくるのだ。時は永禄年間。まだ明智光秀が織田信長に仕える以前のことである。ある日光秀は、素浪人・新九郎と辻博打で日銭を稼ぐ僧・愚息の2人組に出会う。愚息は前述の博打で、いかさまなしで8割近い勝率をあげているのだ。光秀も新九郎も、それが不思議で仕方ない。

実はこの博打は、モンティ・ホール・ジレンマという有名な確率の問題なのである。90年代に数学者たちの議論の的となったこの問題を、まさか戦国時代の小説に入れてくるとは。だが、数字の真理は永禄年間だろうが21世紀だろうが変わらない。そして何より大事なのは、この確率の「理(ことわり)」が、この戦国の世に生きる彼らの生き方に重なるということだ。

光秀は、最初は主家を失い再興を願う浪人だったが、織田に仕えることで一気に出世した。と同時に、彼の苦悩が始まる。キテレツな上司を持った、生真面目な中間管理職の悲哀だ。こんなことには向いてないのに、時代が、状況が、そして彼の性格が、彼自身を頑張らせてしまうのである。翻って新九郎も愚息も、何の制約も受けない浪々の身。新九郎は自ら選んだことを学び、目を見張るような成長を見せる。愚息は常に豪放磊落でぶれることがない。この対比で、さらに光秀が切なく映る。

しかし切ないだけではない。本書は戦国時代の歴史小説でありながら、合戦の場面がほとんどない。本能寺の変も描かれない。それは本書のテーマが戦ではなく、生き方にあるからだ。新九郎や愚息といったキャラクターと並べてみせ、確率の問題の「理」を哲学に昇華して物語にからめることで、光秀というひとりの男の生き方が浮き彫りになる。そしてその先に、彼の謀反の「真相」が見えてくるのである。悲哀と葛藤に満ちた光秀の「謀反」が「希望」に変わるという離れ業を、作者はやってのけた。驚きだ。

司馬遼太郎を彷彿とさせる「神の視点」での解説もテンポがよく、読者をあっという間に取り込んでしまう。「デビューしたときから、10年後ぐらいには歴史小説を書きたいと思っていた」という著者。作家生活13年、満を持しての初歴史小説は、斬新にして初とは思えないほど貫禄がある。真夜中過ぎに「ちょっとだけ」と画面をタップしたら、途中で止められずそのまま読み切ってしまった。おかげで睡眠不足だが悔いは無い。当然満点。今年必読の1冊だ。


巻頭には舞台となる地域の地図

タイトルは「定理」と書いて「レンマ」と読ませる。意味は巻頭に