劇作、映画監督、詩人、歌人、多面的な活躍をした前衛派が選ぶ名フレーズの数々
公開日:2013/10/17
テラヤマシュージって誰? という人がもしかしているだろうか。名前聞いたことあるけど、どこかのお寺の修行僧かしらなんて人も。我修院達也とどう違うの、などと言い出すとまず我修院が誰か解説しはじめなければならないので、とりあえず寺山のことを説明しよう。
寺山修司は独特の美学をたずさえて、実験性に飛んだ前衛的舞台を作りつづけ、60年70年代の演劇を激しく刺激した劇作家にして演出家であり、また同時に歌人でもあり詩人、評論家、多面的な才能を持った芸術家なのである。現文化の文法を組み替えて世界の新しい姿を現出させた。
さて「ポケットに名言を」は、彼の心に残る数々の名フレーズをテーマごとに振り分け、ページの上に陳列し、逆説や、詩的想像力の飛躍に満ちたコメントを付した本である。古今東西の著書にあらわれるそれ、また映画の中の名セリフなどを、惜しげもなくさらしてみせる。
たとえば冒頭で寺山は、人生の危機を乗り越えさせてくれた名言として、井伏鱒二の訳した有名な詩の一節「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」をあげ、これこそ自分の処世訓といってもよいとのべ、悪臭ふんぷんたる因習や、現状維持にこだわる社会を打ち破るときの支えとしたという。過去ではなく、いまのコードを破壊してやまなかった彼らしい。
素敵なフレーズをいくつか拾ってみよう。
「ときどき、夜中にこの静かさが私にのしかかってくる。平和って何て恐ろしいんだろう」
フェリーニの映画『甘い生活』からのセリフである。
「風立ちぬ! いざ生きめやも」ちゃんとこれもあげてます。流行40年くらい先取り。ヴァレリー「海辺の墓地」から。
「一杯のお茶のためには、世界など滅びていい。」
これは僕も大好きな言葉だ。ドストエフスキー『地下生活者の手記』から。
また、誰もがよく知るこんなひとことも収めている。
「天才とは九十九パーセントが発汗であり、残りの一パーセントが霊感である。」(トーマス・エジソン)
が、どうしてただのネズミでない寺山が編んだ名言集に、読み手として素直におとなしく向かってたまるものかと思うのである。こちらも想像力を駆使して彼の裏をかいてやろうではないか。
たとえばいまの名言。ふつうには、天才の業績もただの人が努力に努力を重ねて打ち立てたもので、その意味では誰もが天才となり得るのだ。才能など一パーセントあればいいのだ。と、こういうふうに解釈され教え込まれている。
はたしてそうだろうか。エジソンてそんな好々爺なのだろうか。僕は違うと思う。僕の解釈はこうだ。天才は99%の努力をした。我々も99%の努力をするだろう。だがたった1%の才能があるかどうかで、天才と我々は決定的にそして切望的に隔てられているのだ。努力の果て、我々は才能のないことを知る。
ま、とにかくお読みになって、素直に感動なさるもよし、ありったけの妄想を膨らませるもよし。
最後に寺山自身の名フレーズを。
「1本の樹のなかにも流れている血がある。樹のなかでは血は立ったまま眠っている。」
詩人としての自負を語る寺山
寺山が初めて出会った名言
フランス映画の名作のセリフにもしゃれたコメントをつけてみせる