「もしもあのとき…」ありえたかもしれない人生が問いかける、慈しみの物語

小説・エッセイ

2013/10/29

鏡の花

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 集英社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:道尾秀介 価格:1,337円

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家族や友人の死を体験すると、どうしても考えてしまう。あのときああしていれば、もっと早く病気に気付いたんじゃないか。あのときあそこに行かなければ、事故に遭わずに済んだんじゃないか──。考えても詮無いことなのは充分わかっているが、それでも、考えてしまう。そして思うのだ。あのときああしていれば、あのときあそこに行かなければ、今もあの人はここにいて、今とは違った人生になっていたんじゃないかと。

『鏡の花』は連作短編集の形をとっている。第1章は、とある家を訪れる少年の話だ。自分が生まれる前に、両親と姉が暮らしていた一戸建て。少年はそこを訪ねることで、自分は本当に望まれて生まれた子なのかを確かめようとしていた。その家の庭の家庭菜園で作業していた男性に声をかけ、以前ここで何が起きたかを知った少年は……。

第1章だけで物語は一旦完結しているし、厳しい現実が優しい光にくるまれたような、染み入るような感動を与えてくれる。だが、この一編だけでは本書は語れない。そのまま第2章に入る。今度は、1章で少年が訪ねた家に住んでいた人の物語のようだが──え? いや、ちょっと待って。え、何これ。間違いなく、読者はここで戸惑うだろう。第1章の細かい会話を覚えているなら尚更だ。なぜなら、前章で死んだとされていた人が生きているのだから。そして前章では元気だった人が、この章では既に亡くなっているのだから。

この不条理の連鎖は続く。読み進むうちに、ある章では亡くなっていたはずの姉が、別の章では生きて弟の死を悼んでいる。ある章では就職してすぐ亡くなった若者が、別の章では結婚して両親に孫の顔を見せている。そこに描かれるのは同じ人たち、同じ家族たちでありながら、見せられる風景は異なるのである。それらはどれも「もしもあのとき……」が現実になった世界と言っていい。あのとき死ななければ。もし自分が先に逝っていれば。その手法は、その物語は、圧巻だ。いつしか読者は、並行する複数の物語に囚われ、あり得たかもしれない幾通りもの人生から目が離せなくなる。

もしもあのとき……が叶ったとして、そこにあるものは何だろうか? 本書が読者にもたらすのは、生も死も、幸も不幸も、すべてくるんで慈しむ大きな愛だ。それは今の自分の人生を慈しむことに他ならない。もしもあのとき、という悔いは消えないが、それも含んで今の自分があり、家族があり、友人がいるのだと。そして亡くなった家族も友人も、確固としてそこに居たのだ、彼らの人生があったのだということが、あらためて嬉しく思えてくる。何かに感謝したくなる。

その嬉しさがはっきりと心を満たしたのは、最後の2文を読んだときだ。この2文が、読み終わってから何度も何度も心の中で響き渡った。今このときの、この自分の人生が、愛すべきものだと、感謝すべきものだと、しっかり頷けた。大きな物語だ。辛いが、その辛さゆえに優しい物語だ。その大きさと優しさを、どうか噛み締めていただきたい。


目次の円環にも意味がある

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