江戸を舞台に展開する絢爛たる“ピカレスク・ロマン”

小説・エッセイ

更新日:2014/6/12

藪原検校

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 新潮社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:井上ひさし 価格:572円

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 『藪原検校』は、江戸を舞台に展開する絢爛たるピカレスク・ロマンです。ピカレスク・ロマンとは和訳するなら「悪党の物語」って、これじゃ凄みがまるでなくなってしまう。「ワルの話」、さらにスケールダウンですね。「ピカレスク」という言葉の輝きと危なさはなかなか日本語になりがたい。「悪玉譚」、コレステロールか。「悪漢ばなし」、落語だね。日本語化はあきらめましょう。

 まずちょっと解説を。「検校」というのは、厳格な階級制度で縛られていた当時の盲人たちの最高位の職名であり、そこまで登り詰めるには七百数十両を必要とするといわれていました。今のお金にすると、一両だいたい30万円くらいですから、こりゃもう大変な金額です。「按摩上下十六文」といって、最下位の按摩さんの場合、全身をもみ療治して十六文の代金でして、一両が四千文くらいですよ。なのにどうやって七百両貯めるのか、目がくらむではありませんか。けれど、盲人の身分が低く、世間からさげすみの目で見られていた時代に、検校は十万石の大名と同じほどの権力と階位を得ていたというので、遠い夢ではあるけれど、なってしまえば七百両なにものするぞてなものだったのであります。

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なぜ盲人の話をしたかといいますと、本作の主人公杉の市は、生まれながらの、貧しい盲人の境涯なのです。

またここで解説を。本作品は小説ではありません。戯曲です。戯曲というのは、お芝居の台本です。ですから、場面の説明をする地の文(ト書き)と、会話文(セリフ)だけでなり立っています。これを読むという習慣があまり日本にはありません。読むのがややこしい、読みにくいというわけです。あの文の頭に人物名が書いてあって、誰が喋ってんのか確認してからセリフを読む、それからまた別の人物が喋ってるのに気持ちを切り替えて次を読まなくちゃならない。これが面倒らしい。でも、戯曲をたくさん読んできた身からすると、この人物名ってやつはよくできた戯曲の場合ほぼ読まなくてもいいんです。セリフだけ読んでいけば、その人物が抱えている考えや、キャラクターによる喋り口調で、誰が喋ってるのか分かっちゃうからです。ずっと読んでいって、あれっ変なセリフだなと思ったときだけ人物名を確認すると、それが新しい登場人物だったりする、つう寸法になっているのです。

戯曲の面白さは、描写でなく、アクションによって人物がダイレクトに読者の頭の中で動くことです。

戯曲読みましょう。特に本作品は、日本随一の書き手、井上ひさしの手になる傑作中の傑作として、何度も何度も再演されている1本なのですから。

では、その傑作とははどんな戯曲か。

暗闇の中、按摩の笛が鋭い一閃を奏でると、やがて淡い光の輪の中には、ひとりの按摩の姿が浮かびあがり、これから稀代の大悪党藪原検校の一生を披露すると語る。以降この按摩は、舞台背全体の語り手として、当時盲人たちが置かれていた境涯や、セリフの中に登場する言葉の解説など含め、進行役をつとめていくことになる。

江戸中期、東北は塩釜、魚屋の小悪党七兵衛のめとった嫁志保は史上何番目かの醜女だったが、無類に気立てがよかったため、七兵衛一度はまっとうな生き方をしようとするものの、志保の懐妊をきっかけに、妻と子に少しはいい思いをと座頭を殺し金を奪ってしまう。ところが生まれた赤ん坊は、全盲であった。めぐる因果に絶望して七兵衛は自害する。このあたり、因果ばなしめいた幕開きが読み手の心をぐっとつかむはずだ。盲目のものが、晴眼者にまじって暮らすのはかえって不幸と、琴の市という座頭に預けられた杉の市(後の藪原検校)であった。

ある日、琴の市と杉の市が生業である浄瑠璃を語っていると、佐久間という検校が現れて、検校の出向いている土地で一切働きをしてはならぬ当道座(盲人が籍を置く世界)の掟に叛いたと、稼いだ金を取り上げようとする。もみ合ううちに杉の市は検校の結解(秘書みたいなもの)を刺してしまった。さらに、出奔する前に実家に寄る杉の市は、誤って母を殺してしまう。

さらに、さらに、琴の市の女房お市と密通していた杉の市は、琴の市を殺す算段をお市とたばかるが、杉の市はお市まで手にかける。琴の市の貯め込んだ大金を懐に杉の市は江戸へ向かう。

目あきと対等になるには検校になるしかない。それには一にも金二にも金だ、と考えた杉の市は、藪原検校(初代)に弟子入りする。悪辣なやり方で貸し金の取立をし、めきめきと頭角を現した杉の市は、とうとう藪原検校をあやめることで、二代目藪原検校の座につく。さてこの後、藪原検校には思わぬ失策が襲いかかり、恐ろしい最後が訪れることに。

ピカレスクロマンの面白さは、軽々と社会の規律を破ってみせる姿にあることはひとまず間違いはないところでしょう。私たちは、法律や世間の慣習や家庭の中の規律などに、いってみればがんじがらめに縛られて生きています。そのしがらみを次々と破ってみせる悪行の数々は、日頃の苦しさへの仕返しとしてダイナミックに人々を感動させずにおかないのです。また、悪行をおかしたヒーローが生半可なことでは捕まらずに、夜のとばりの中を跳梁するというのも、大きな自由みたいなものを感じさせてくれます。

この感動めいたものが何かというと、一番近いのはお祭りでしょう。日常の規則を取っ払って、1日だけの無法に酔う、この時のしびれるような心の高揚と同じ効果が、ピカレスクにはあるのです。ピカレスク、読みましょう。「藪原検校」読みましょう。


井上は悲惨な話の中に笑いも潜ませるのが巧みである

こうして按摩は藪原検校の一代記を語り出す

地口やしゃれたっぷりの歌も挟み込まれる

お市とたばかりみたび目の殺人を犯す