読者も恐怖に叩き落とす 疾走感あふれすぎる追いかけっこ
更新日:2011/9/6
東欧の小国へ修学旅行中の生徒たちが拉致された。
犯人は「狩猟クラブ」。
子供たちは、「狩られるため」にその命を金で買われた。
動物とは何かしらの形で狩猟をおこなっている。そんな意味の言葉から始まる本書。やってはいけない、しかし、欲求がある。
それは「人間を狩ること」。
財閥の好事家たちはその禁忌を犯し、「狩猟クラブ」を結成した。そして、ターゲットになったのは、日本の学生たちだった。
いつもどおり、狩りが楽しめるはずだった狩猟クラブの面々。しかし、それは赤神楼樹という少年によって阻止されてしまう。すべてにおいて平凡であった彼は、最悪の状況下で才能を開花させる。彼の才能は「人を殺すこと」。
追いかけられるときというのは怖い。
小さいころ、鬼ごっこは時として怖かった。日常生活、そうそう追いかけられることはない。せいぜい犬に追いかけられるぐらいだろうか。それも十分に怖いけれども。よく考えたら、そういう経験もないけれど。
何かに追われると恐怖を抱くことは間違いない。しかし、どうして同じ「人間」に追われている図というのはこうも恐ろしいのだろうか。ゾンビや幽霊に追われているよりも怖い。追いかけられたことがないから分からないけれど。
おそらく、ゾンビに追われることはなくても、人間になら追われる可能性がなきにしもあらず。だからかな、と推測したりする。
この作品で特筆すべきは、その追われているときの恐怖が何よりもリアルだということ。あっという間に恐怖に飲み込まれ、読んでいるうちに絶望に襲われる。
おそらく、そういうふうに感じられるのは、この作品には疾走感があるから。ひたすら逃げろ、逃げろ。それが読者にも影響を与える。この子たちが追われた末にどうなるか知りたいんでしょう? そう問いかけられ、最後まで読み切ってしまう。
実際に私は一気に読み終えてしまった。読後の疲労感は大きい。
しかし、この作品はまだ終わっていない。
むしろ、スタートでしかない。
一度読んだら、読者自身ももう逃げられないのだ。
プロローグの前のページ。このメッセージは誰に向けたものなのか
少女の恐怖が凝縮されているようで、読者の胸も痛む
今回、途中で文字サイズを変えてみた。紙媒体で読みなれている人はこれぐらいのサイズが読みやすいかも