危険な依存症ビジネス 消費社会の“カモ”にされないためには、現状を知らなくては
更新日:2014/12/19
依存症と聞いて、どんなものへの依存を思い浮かべるだろうか。麻薬はもちろん、合法的なアルコールやタバコ、ギャンブルはすぐ頭に浮かぶところだろう。しかし、私たちが普段「ご褒美」として楽しんでいるようなことも、充分私たちを依存症にする可能性がある。ご褒美がなくては生きていられないような気分にさせられるストレスフルな社会で生活しているために、隠れ依存症者の数は増すばかりだ。
著者はカップケーキ、iPhone、鎮痛剤の3つから話を進め、うっかりすると簡単に絡めとられる現代社会の仕組みを解説してくれる。もしも恋人や子どもよりも携帯が大事になっているようなら、あなたは依存症を疑ってみる必要があるかもしれない。
また、フィックス(すぐに気分を良くしてくれるもの)への期待感は、フィックスを消費した瞬間に得られる満足感に勝ると言う。つまり、カップケーキを食べているときより、カップケーキを選んでいるときのほうが楽しいということだ。運悪くカップケーキがハズレだったら、期待は怒りに変わる。ということは私たちは、せっかくカップケーキを手に入れても、食べ終わったらすぐ次のカップケーキを買いに行かなくてはならなくなる。
もっともっと欲しい―—この脳の仕組みが私たちを依存症的な行動に走らせるのだ。企業はもちろんそこを突いてくる。それが依存症ビジネスだ。利益を得られるチャンスだというのになぜ売らないのか、というのが企業側の事情で、私たちの健康や幸福など彼らの知ったことではないのだから。怖いのはケーキショップだけじゃないことは言うまでもない。その他の様々なビジネスモデルについては本書に当たってほしい。
著者はアルコール中毒の過去があり、人がどのように依存症になるのか、どうすれば抜けられるのか経験的に知っているライターだ。だからこそ、依存症は特別な人間だけがかかる不治の病ではないことも主張し、自らの治癒体験から、依存症者を“患者”扱いすることの誤りを繰り返し指摘する。
消費者を自社製品漬けにしたい企業に囲まれ、消費を称揚する経済環境に置かれた私たちは、その消費社会から利潤を得ている共犯者でもある。抜けることはできない。カモになりたくなければ、このビジネスの仕組みを知り、狩猟民族だったころの警戒心を取り戻すしかないのだ。
もはや人がものをほしがる仕組みはとっくに解析されている。想像力と良心を考慮に入れなければ儲けるのは容易いことなのだ
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