爆笑必至の妄想があれよあれよと膨れあがるから“茫然”エッセイ
更新日:2012/3/2
宮沢章夫は劇作家&演出家である。と思う。最近氏はいろいろなことに手を出され、それがまたそれぞれ標準以上の面白さを醸し出すありさまなので、本業を演劇と信じていてよいのかどうか観客としてはここのところいささか不安になってはいるのであった。
この本なども、サイドワークのはずだったのが、その抜群のおかしさでエッセイストとしての彼を世にときめかせることになった仕事の初期の1冊である。
演劇というのは、できるだけ短いセリフで最大の効果を生むように組み立てていく。その効果が笑いならなおさらのことで、ダラダラ物事を説明してるセリフのおかしいことなんてまずありえない。ボソッとこぼした一言と彼を取りまいている状況の食い違いこそが爆笑に結びつくのだ。
このエッセイでもその宮沢の天下一品のテクニックが存分にふるわれている。ごくありふれた日常の風景から入って、スカッと改行して繰り出されるワンフレーズ。そのおかしさは筆舌に尽くしがたい。あんまりへんてこりんで、だんだんシュールな気分にさえなってくる。
また、言葉の力は私たちの身の回りにあるなんとなく変なことの、その変さ加減をぴたりと言い当ててみせることにも使われている。私たちにもその「間違いぶり」は分かっているのだけれどうまく言い表せないことを、優しい分かりやすい言葉でしかもファニーに、スパッと切っちゃうのである。見事に笑わせられちゃう。
一つの出来事を、もしこうだったらああだろうし、そうなったらこんなことになる、と妄想をふくらませながら発展させていくやり方もいかにも劇作家らしい。しなやかな想像力にだまされてついていくと、ページをめくるたびに飛んでもない場所につれられてってる自分を発見してまた思いっきり笑っちゃうのであった。
ボソッとした一言が妙におかしい
些細な日常の切れ端から妄想がとめどもなくふくらんでいく
不穏なまでの妄想はとうとうここまでひろがつてゆくのだった
言葉がヘンテコな事態を切り開きながらますます変な事態へと追い込んでいく