関東大震災の復興計画をわずか5日で決めた後藤新平から何を学ぶか!

公開日:2011/9/4

世紀の復興計画 後藤新平かく語りき

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関東大震災後の復興計画を陣頭指揮し、いまの東京の街の基礎をつくった後藤新平が脚光をあびています。
  
  当時のお金で7億円(現在にすれば40兆円)におよぶ巨額の予算を計上し、復旧でなく復興をという明解なビジョンのもと、大震災からわずか5日後に「帝都復興の議」を上程。その内容は長期の内外債を財源とすること、被災した土地を公債で買収し、土地整理後公平に売却することなど、増税に頼らないものでした。現在の東京の道路(昭和通り、靖国通り、明治通りなど)を作り、東京の今の姿を創った人といっていいでしょう。

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Yoko-sanは以前、中国・長春にいったことがありますが、この街も後藤新平が満州時代に創った街です。
  
  長春は、車で走ると道路が広く交差点のロータリーがとても大きいのが印象的で、地図を見るといかにもある計画に基づいて設計された近代都市です。古い建物と新しく開発された高層ビル群とのミスマッチが都市しての魅力であり、80年たっても広い基幹道路などその設計理念が感じられる街です。
  
  このように後藤新平は、東京の復興だけでなく、満鉄の総裁、台湾総督府、外務大臣、拓殖大学長、ボーイスカウト(Yoko-sanもやってました)総長など、多くの仕事を行い実績をあげました。
  
  今、後藤新平が生きていたなら、この震災後の政府の対応をどう思うでしょうか。歴史から学ぶことはたくさんあります。

関東大震災後、後藤新平は決して政治的に安定しておらず、多くの政敵がいる中で、「復興帝都の議」を上程しました

当時米国の外交に大変大きな影響力をもっていたチャールズ・ビアード。ルーズベルトの外交政策を批判した本を書いて晩年は孤立しました

都市はインフラを整えるだけではだめで、そこに住む人たちが「自治」をおこない「健全」に暮らせることが必要だと説いています