2008年12月号 『茗荷谷の猫』木内昇

今月のプラチナ本

2008/11/6

茗荷谷の猫

ハード : 発売元 : 平凡社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:木内昇 価格:1,512円

※最新の価格はストアでご確認ください。

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

『茗荷谷の猫』

木内 昇

●あらすじ●

幕末の江戸から昭和の東京を舞台にした連作短編集。園芸にのめり込み、武士の身分を捨てて染井で植木屋になった徳蔵。彼は交配に興味を持ち、ついに世にも美しい桜を生み出す。だが、謙虚な徳蔵は銘をつけることもしなかった。妻のお慶はそんな徳蔵について行けず、ふさぎこむ。(「染井の桜」)大正年間、市電の事故で夫を亡くした文枝は、絵を描いては月に一度ふらりと訪れる緒方という画商との仲介をする男に預ける日々を送っていた。しかし、思うような絵が描けなくなってきていた文枝は、あるとき緒方に夫を亡くした文枝自身のことを絵に描いてはどうかと提案され、動揺する。(「茗荷谷の猫」)それぞれの土地で悩みや思いを抱えた人びとの暮らしを描く全9篇。

きうち・のぼり●1967年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、独立。インタビュー誌『spotting』主宰。雑誌・単行本などに執筆。著書に、『新選組 幕末の青嵐』『地虫鳴く』『ブンガクの言葉』『新・東京の仕事場』など。

茗荷谷の猫
平凡社 1470 円
写真=下林彩子

編集部寸評

東京という名の土地が見た儚い夢

い”という字は人の夢と書くが、この物語は東京という名の土地が見た儚い夢だと感じた。夢の中では、かつて江戸と呼ばれていた頃の町並みがあり、市電が走る町並みもあった。夢の中では、刹那の命の人間たちが集い、すれ違い、懸命に生きていた。町も人も移り変わり、消えて行く。幻のようにきれいだ。それはまるで夢のように咲いて散る染井吉野のよう。そんな夢の中で人々はさらに夢を見る。新種の桜が町中に広がる夢を見る男、根拠のない成功を夢見る愚かな男。あなたたちのことは忘れないと言っているのは、東京だろうか著者だろうか。ふと思う。例えば百年後に、今を生きる僕たちのことを誰かが思い出してくれるだろうかと。人生という夢が醒めても、いつか誰かの夢の中で振り向いてもらえたら人は幸せなのかもしれない。

横里 隆 本誌編集長。「ほぼ日」の「感激団」に参加して中島みゆきさんのことを語り合いました。楽しかったー。ぜひ読んで!

何かを志し、坦々と生きた人生

私はいったい何がしたいんだっけ?ときどきふっとそんな疑問が湧いてくる。日々の仕事に追われていて、自分の気持ちが見えなくなるというか。この『茗荷谷の猫』の登場人物たちにはそんな迷いはない。それがどんな小さなことでもくだらなくとも、また雲をつかむような遠い夢であっても、それに向かって坦々と生きている。彼らの想いは時代と場所の中に置き去りにされるが、かえってそこに人間の自由さを感じた。連作短編集といえる体裁だが、読後感は長編に近い。それぞれの短編はふいに終わり、その人物の行く末的なことは他の話で明かされることが多いからか。 冒頭の染井吉野を作り出した植木職人の話がとてもいい。こうした無欲のまっすぐな仕事こそ、後世の人々の心を打つのだとしみじみと思った。

稲子美砂 京都取材では楽しいお話をたくさんうかがうことができました。第2弾を早くも企画したいです

祖父母の家で読んでるみたいな

茗荷谷という地名だけで、小石川→漱石→百と、文京区の文豪チックな世界を妄想したが、文豪味は少しだけ。描かれるのは巣鴨、品川、市ヶ谷、本郷、浅草など山の手中心の9カ所。気をつけていないとするりと手から滑り落ちて、そのままどんな人だったかすっかり忘れてしまいそうな市井の人々が、日々ひっそりと、時に狂気の中で暮らしている。全体に漂う妙な懐かしさは町の繊細な描写からくるものだろう。祖父母の家にあった掘りごたつで読んでいるような安心感。あっという間に読み進め、ひたすら心に染みてくる。そうだよな、私も大勢の中の一人で、ただの凡人だからどう生きようが自由なんだし、楽しみや幸せは誰かに決められるものじゃなくて、自分で決めていいんだよな、生きててよかったと、妙にうれしくなった。

岸本亜紀 有栖川有栖さん、立原透耶さんの単行本、準備中です。お楽しみに。伊藤まさこさん連載始まりました!

静かな不穏が、しみじみこわい

ひたひたと胸にしみこんで、そのまま二度と消えない、そんな力のある本だった。ただし「胸にしみる」と聞いてふつう思い浮かべるような「おだやかで、いい話」とも、また異なる。たとえば冒頭の一編。江戸の巣鴨、武士から植木職人に転じて桜の掛け合わせに注力する男と、その妻の物語。といえば心あたたまる夫婦愛が描かれそうなものだが、武家育ちの妻は自分の殻に閉じこもり、彼女亡きあと夫の愛情は妄執へと傾いていく。静かな筆致からにじみ出る不穏。この一編のみならず、愛すること、仕事にうちこむこと–何かに夢中になることの素晴らしさと恐ろしさが、表裏一体となって描かれていく。登場人物たちの一見平凡で静かな暮らしの中に、これほど濃密なプラスとマイナスが満ちている。そのことがしみじみとこわい。

関口靖彦 10月25日にMF文庫ダ・ヴィンチの第3弾が出ました。ぜひ書店で、手にとってみてください!

さみしい、の向こう側

誰も自分を知らないところに行って、耳が聴こえなくてしゃべれないふりをして生きたいとホールデンが言ってたけれど、たしかに、それくらい、コミュニケーション能力の競争はきつい。経済格差よりきついかも、というか、たぶんそのふたつは関係してる。誰かと交わらないことが、うまく交われないというマイナスでなく、アンチテーゼでもなく、ただフラットに許されている本書の世界は、ユートピアみたいに思えた。

飯田久美子 とくに脈絡ありませんが、『われらが歌う時』と『あの戦争から遠く離れて』がとてもおもしろかったです

心に沁みる「泣けるいい話」集

江戸から昭和にかけて東京で暮らす人々を描いた連作短編集。まず冒頭、巣鴨染井を舞台にした「染井の桜」に心打たれた。自身の夢のため、お慶を愛しているのに不幸にしてしまう徳造。なんと切なく、哀しく、美しい物語だろう、と読後の余韻に浸った。偉業を成し遂げながらも、その名を知られぬままひっそりと生きた人々は、確かに存在したのだろう。次の春、染井吉野を眺めるとき、きっと私は彼らのことを思い出す。

服部美穂 1特「泣けるいい話」特集では『地図男』が驀進中の真藤順丈さんなど作家7名による書き下ろし作品を掲載!

誰でもない人々の夢と人生

通いなれた散歩道をゆくと、いろいろな人にであう。よく見かける人もいれば一度きりの人。目を惹かれてしまう人、気をつけないと見失ってしまいそうな人。彼らもそれぞれの大切な夢をもち、追いかけながら人生をゆくのかと考えると嬉しくなる。陽気に誘われてふらりと外出するようにページをめくってみてほしい。儚くも確実に時代や土地に刻まれた、名もなき誰かが残したなにか。すれ違う人々の物語が、やけに沁みた。

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時代を重ねて交差する市井物語

土地がもたらす風景や登場人物たちの背景がほんのり色を染め、幻想的に浮かび上がる。巣鴨染井、茗荷谷、本郷菊坂、池之端など、東京の町を舞台に描かれるこの9つの物語には、どこか風情がある。失望と希望のまん中で儚くも美しい夢を追求する者、現実から逃れようとする者など、さまざまな人間の悲哀が描かれているが、不思議となぜか優しい気持ちになってしまうのはなぜだろうか。後読感もいい。

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夢を見るのはいいことだと思う

読んでいる間、私の意識はカバーに描かれた桜のもやの中で幸せな気分だった。9編の物語は、決してハッピーエンドだけではないけれど、なんというか、切ない出来事を時間とともに自分の肥やしにできた人から思い出話を聞くときのような、穏やかな刺激を貰った気分。日々の生活の中で生まれた夢や苦悩や楽しみは、いつの時代でも共有できる痛みと温かさを持っているんじゃないかな、と思った。

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ふわふわ移ろいつつ現実を歩く

読み終わった今もまだ、夢の中にいる気分だ。そこかしこに薫る幻想文学のエッセンスに喚起され、気づけば登場人物と一緒に町並みを歩いていた。あの角を曲がると百がいるかもしれない、坂を上れば猫がいるかも……と、空想の中を漂って。一生懸命に生きる主人公たちに悲哀や共感を覚えながら、そんな身近な感覚を通り越し、ふっと肩の力が抜ける心地よさ。この気分に浸ったまま、散歩に出るのもいいかもしれない。

野口桃子 はやみねかおるさんのご自宅は本のお屋敷、お宝に溢れた迷宮でした。そこで生まれるご著作に注目です!

運命は彼に隠遁生活を許さない

父の遺産で念願の自堕落生活を手に入れた耕吉が、乱歩に憧れて人を遠ざけようとやっきになる「隠れる」が痛快だった。自分自身の悪口に誰も反応してくれなかったり、隣人に頼まれた雑誌の原稿に適当なことを書いたら、かえって評判になってしまったり。彼の悪意がことごとくいい方向に転がってしまうのが楽しくて、それを悔しがる耕吉が憎めなくて、ページを繰る手がとまらなかった。ヤな奴だけど、魅力的な奴なのだ。

中村優紀 連休の多い秋ですが、どこにも行かず井の頭公園でぶらぶら散歩したり、本を読んだりしています

いつかその地でふわっと薫るもの

ひとっところにずっと住んでいる人が、ごくたまに羨ましくなる。狭い範囲で転々と引越を重ねて、それはそれで便利ではあるけれど、街の昔語りはできそうもない。本書は、東京の各地を舞台として9編が連なり、その地に居たかつての主人公たちの痕跡が、時代を越えてふっと薫る。残った人、去った人、その地が抱え込む記憶のような、欠片。俯瞰した存在になれる読者だからこそ味わえるものを、たんまりいただきました。

岩橋真実 弊誌でもコラム連載中の東村アキコさん新刊『ママはテンパリスト』、ついに出た第1巻、大爆笑しました。ぜひ!

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