2005年06月号 『現実入門』 穂村弘

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

現実入門

ハード : 発売元 : 光文社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp
著者名:穂村 弘 価格:1,512円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2005年05月06日


『現実入門』 穂村 弘 光文社 1470円

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歌人、穂村弘が、美人編集者サクマさんに誘われ、献血や、健康ランドでアカスリ、升席での相撲観戦、モデルルーム見学など、いわゆる“普通のひと”が普通に経験している事柄に挑む。
相撲観戦では、枡席担当者に心付けを渡すタイミングに右往左往し、モデルルームでは生活感の重みに恐怖する。
齢四十を重ねてもまだ、現実内体験が大きく欠けていて「人生の経験値」が著しく低いと自認している著者。彼の体験は常に妄想に彩られ、体験を重ねるごとに現実からいよいよ浮遊してゆく。リアルとアンリアルが交錯し奇妙な味わいを残す。

ほむら・ひろし●1962年、北海道生まれ。歌人。著書に歌集『シンジケート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』など多数。弊誌でも現在「もしもし運命の人ですか。」を連載中。


横里 隆
(本誌編集長。先日、一青さんに誘って頂いて穂村さんや瀧さんと劇団・本谷有希子を観に行った。
『乱暴と待機』めちゃめちゃよかった。本谷さんお仕事しましょう!)

憧れと諦観の狭間で
ゆらゆらと滲んで行きたい


仕事柄、作家の方々に会う機会は多い(当たり前ですが)。その度に「作家はすごいなぁ」と感じる。「書かずにはいられない」という強い衝動がなければ作家にはなれないだろう。溢れるような“どうしようもない思い”を抱えて作家になった人たちは、どこからかオーラを出していて思わず気圧されてしまうのだ。しかし穂村さんにお会いしたときはまったくそのプレッシャーを感じなかった(穂村さんすみません)。それがかえって驚きで、やっぱり「すごい」と思ってしまった。穂村さんはそっとたたずんでいて、何故だか静かに揺れていた。そう、穂村さんはいつも何かと何かの間で揺れながら、それをそのまま受けとめる。目指すべき夢のような憧れと、入門すべき現実的な諦観の間で、どちらにも着地せず、でもどちらにもアクセスしながら揺れている。それは素敵だ。本書のエピソードのひとつ。通勤途中のホームでひと口ゲロを垂らしながら、体調不良の穂村さんは「ああ、駄目だ/ああ、自由だ」というふたつの感覚に同時に襲われる。何かが崩れる瞬間は自由になる瞬間でもある。矛盾するようで実はひとつとも言えるふたつの間でゆらゆらと滲んでいる穂村さんを最近明確に目標にしている自分を意識する。ついて行きますどこまでも。


稲子美砂
(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

現実をキラキラさせる達人

おもしろい経験をしても、自分が感じた「おもしろ感」を人にそのまま伝えることは難しい。普通の人はたぶん半分もできない。『現実入門』を読むと、穂村さんがそういった「おもしろ感」を伝える達人なんだと改めて思い知らされる。読み手は、穂村さんが感じた「おもしろ感」の150%以上をこのエッセイから受け取ることができるだろう。ここで彼が入門した「現実」の7割くらいは私も経験しているし、同じようなものを見聞きしているのだが、それはこんなにキラキラしていない。穂村さんは一見子供の視線であったことやその場のやりとりをそのまま、そしてそのときに感じた自分の驚きや焦りを素直に書いているように見えるが、実は言葉や間やリズムがすごく計算されている。「現実」であって「現実」でないというか、さすが短歌の人なのだ。これまでの彼のエッセイ集の中で、『現実入門』はいちばん開かれている作品だと思う。おそらくこれを読んだ女性の7割、いや8割は穂村さんへの好感度がアップするだろう。最後の結びは予感させつつ、でもそこでもう一展開。ホントにうまい人である。


岸本亜紀
(本誌副編集長。怪談担当。『新耳袋』第十夜6 月17 日発売予定。『幽』3 号は6 月24 日発売予定。怪談漬けの日々)

これは穂村さんの妄想か現実か?笑ったり、ぞっとしたりの連続。


穂村さんの幸せは、後ろ向きの喜びだ。だから友人の結婚式に出て、“愛しあう者たちの幸福の絶頂オーラを浴びて、免疫機能が下がって”しまう。
その夜、原因不明の高熱に魘されながら、そんな自分を“友達の幸福を心から祝えない男なんで、情けないと思う”と責める。こういうのを読むと、穂村さんはすごく微妙なところで文章を書いているなぁと思う。自称・ダメ男の香りがぷんぷんしながら、でも現実はそんなにダメではない。世界と器用に折り合えない正直さを持つがゆえに、生じるいろんな戸惑いを描いているのだ。現実と妄想の狭間に生きる自分自身を。だからエッセイ自体が妄想めいてくる。読んでてバカ笑いを誘うところが多いが、ときにぞっとするほど、私の嫌な部分を抉り出してきたりする。でも、毎回、面白いんだけどね。


関口靖彦
(角川ホラー文庫『闇夜に怪を語れば 百物語ホラー傑作選』を味読。一篇一篇、大切に愉しみました)

『現実入門』に仕掛けられた“エッセイ≠現実”という罠


「初秋の或る日、私は花荻窪の駅に降り立った。」という一文にぶつかって、中央線になじみのある読者はギョッとしたはずだ。続けて「荻窪の隣にある。反対側のお隣は吉祥寺だ。」とわざわざ説明されている。だが現実にそこにあるのは西荻窪駅だ。エッセイと思って読んできたのに、これってぜんぶウソ!?そう思ってカバーや帯を見ても、どこにも“エッセイ”なんて書いてない。やられた。この時点から読者は、これまでのエッセイ二冊とは読み方を変えざるをえない。折々の感情や風景の断片が並んでいるのではなく、何かを描こうという意図のもとに一冊全体が統制されているのだから。さて最後に「何」が出てくるのか、そのスリルを楽しんでいただきたい。


波多野公美
(5月13 日(金)角田光代さん単行本『この本が、世界に存在することに』発売! 本を愛する人にあまねく読んでほしい短編集です)

現実との闘いに疲れたら穂村ワールドにひたろう

「もうそうにふけるのが好きだな?」と占い師に云われてどきっとす穂村さんは、たぶん妄想が好きなんだと思う。そして妄想が好きな穂村さんは、「自分ひとりの世界での甘い空想や望みと現実との間のギャップ」に、どうしても慣れることができず、「必ずショック」を受ける。世の中には、「この人に怖いものなんてあるのだろうか?」と思わされる人がたくさんいる。でもきっと他人には分からないだけで、実はみんな穂村さんのように、自分の妄想とかけ離れた現実と日々闘っているのだと思う。そんな闘いの日々に疲れたときに、ひとりの部屋でそっと開くのに、最適な一冊です。


飯田久美子
(わたしの最新の初体験は、○○○○○。加減がわからず、やり過ぎたのか、負傷してしまいました。現実は痛い!)

「現実」に入門したと見せかけて「現実」道場破りを果たしてる


「初体験」というのは、それが何であれ、素敵な感じがする。初めて海を見る、初めてセックスをする、初めてお給料をもらう……人生に起こり得る「初体験」の数々をいつも楽しみに待ち構えている。なのに、想像してたより素敵だった試しがない。中にはよく憶えていないことすらある。穂村さんの『現実入門』を読むと、ますます「経験」や「現実」の価値がわからなくなる。「現実」の重みに苦しんでるかに見える穂村さんだけど、実際はむしろ穂村さんのほうが勝ってる感じがする。だって、穂村さんの初体験する「現実」よりも、虚実の皮膜が揺らぐ瞬間の、穂村さんの妄想のほうが遥かにおもしろいから。


宮坂琢磨
(『週刊少年マガジン』で連載の始まった幸村誠さんの『ヴィンランド・サガ』といい、長谷川哲也さんの『ナポレオン獅子の時代』といい、今、大河マンガが面白い!)

妄想の出口はないのか?現実に屈しない


現実と妄想が混ざっているようで、それをどこか冷静に、客観的に捉える。穂村さんの文体は本当に面白い。オタク的要素ですら美しく昇華するセンスにしびれる。今回特にツボにはまったのが、穂村さんの心の中に住む、わたせせいぞう、片岡義男、村上春樹だ。穂村さんの美意識や行動規範を構成する彼ら三賢人は、健康ランドという生活感モロ出しの物体に相対したとき、挫け、倒れ、白髪化してしまう。それを叱咤激励し、結局は、心の中の三人も健康ランドを満喫するのだが、その自分の心中の変化を擬人化することで客観視し、妄想に包んで楽しんでいる。決して全く現実に近づくことはないのだけど、その妄想の楽しみ方は、人生の幅を(内向き)に広げてくれるように感じた。とりあえず、僕も自分の規範を擬人化してみよう。勿論電車男として。

『泣かない女はいない』
長嶋有 河出書房新社 1470円

大手電機メーカーの子会社、大下物流に就職が決まった澤野睦美。決断力のない社長や、かしましいパートに囲まれたのんびりした環境が、働いている内にやがて捨てがたいものになっていく。なかでも、不思議な雰囲気をもつ樋川に、訳もなく惹かれてゆくのだが……。恋心の微妙な機微を淡々とした文体で連ねていく3 編の短編集。


飯田久美子
大事件も、日々の些事も、微分すれば、同じ連なりの中にある
何でもない日常なんかではない。表題作の主人公・睦美は、恋人との同棲を解消し、収録作『センスなし』の主人公・保子は離婚の危機に直面している。でもそういう事件は事件として描かれず、昼休みに会社の屋上から見る風景や、昔好きだったバンドの記憶と同じようにただ淡々と描かれる。何となく誰かを好きになり、何となく関係が破綻する。言いたいことはないのか、意志はないのかと、ツッコミたくなる人もいるだろう。だけど、状況を淡々と微細に描写することでしか説明しようのない感情もある。大声をあげて泣かないからといって、傷ついてないわけじゃないように。「うつ病かもと思ったら、掃除しろ」という人がいるが、一理ある。同じ意味で、一喜一憂することに疲れたら長嶋有の本を読むのがいいと思う。それと、カバー裏を見るのを忘れないで下さい。

イラスト/古屋あきさ

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