戦争直後、上野駅付近には浮浪児と呼ばれる戦災孤児たちがいた

更新日:2015/9/29

浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち

ハード : 発売元 : 新潮社
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著者名:石井光太 価格:※ストアでご確認ください

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 今どのくらい読まれているのか私には雲をつかむようなのだが、江戸川乱歩の少年推理読み物「少年探偵」シリーズに、「青銅の魔人」という巻があって、「チンピラ別働隊」なるケッタイな集団が登場する。これは上野あたりにたむろする浮浪児を十数人集めて、一隊を組み、探偵団のおまけのごとく働かせる組織だ。なんでそんなものが必要なのかというと、探偵団の団長・小林少年の弁によれば、正規のメンバーでは活動できない夜中でも動けるし、かっぱらいなんどをして生きている浮浪児たちならさすがに足も速い、と抜かすのである。ひでえ話である。ひでえ話はまだ続く。君たちは、日の当たる「探偵団」の団員にはなれないよ。だってみんながいやがるもん、だって。

 なんつう差別意識であることか。

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 そもそも人を捕まえて「チンピラ」と呼ばわることからして失礼だし、良家の男子からの上から目線ときたら、空前絶後じゃありませんか。

 だが、逆から見るなら、一般の人たちから当時の浮浪児たちはこうした視線でとらえられていたということでもある。

 では、浮浪児とは何か、本書によれば「戦災孤児のほかに住む場所を失って街頭で暮らすことになった子供や家庭の事情で家を飛び出した子供なども含む」

 つまり、12万人いた戦争孤児のうち、親も親戚もなくし一人で生きていかなくてはならない14歳以下の子供たちが、全国で3万5000人、統計にはこぼれたものも数えるとすれば10万人を超えると石井氏はいうのである。武道館5杯分の幼い少年少女が、日本に存在していたとは、今からは考えられないありさまだ。そのものたちの多くが、東京で言うなら、上野の、不忍池に抜ける地下道に1000人も、ひしめきあって暮らしていたのである。

 その子たちの焦眉の急は、もちろん食べ物をどうするかであった。ほかの街から新聞を買ってきて、倍の値段で売るというおとなしいものから、スリ、置き引き、万引き、詐欺などの犯罪までが日常的におこなわれていたらしい。そうしなければ食べていけなかったのである。食べられずに体力を落として死んでいったものも数多くいた。児童施設も児童福祉法もまだなかった。

 やがて、上野駅に近い「アメ横」、「アメヤ横町」に韓国人がバラックを建て商売を始め、そこへ日本人が参入し、テキ屋や暴力団が横行し始め、当然闇市だから公には禁制の物資が豊富に並び、人々が集まって活況を呈する中へ、子供たちも出入りしてテキ屋の仕事を手伝ったりものをねだったりしていた風景も生き生きと描かれていく。

 著者は、戦争の一面を伝えるために、またその鏡を使って現代の日本を写すために本書を書いたと吐露しているが、私には違うファンタジーが像を結んだ。憧れである。家がないから帰らなくていい、どこへ寝っ転がっても誰にも何も言われない、やらなければならないことも学ばなければならないこともない。これ以上楽しいことがあるだろうか。もちろん私は世界一気が弱く虚弱体質だから、生存競争に惨敗して、のたれ死にするのかも知れない。しかしそれでもいいような気がするのだ。人の死とはそんなものの思いがある。

 浮浪児のありさまを一度読んでいただきたい。


すみかの環境は劣悪だった

子供たちは靴磨き、シューシャインシャインボーイの仕事をする時期もあったらしい

上野駅の地下道にじかに寝ている子供

やがて「アメ横」に闇市がたつ

浮浪児たちのあいだでは、死者もまれではなかったのだ