自分にマイナスイメージを抱いている人向け? ロマンチックな“報われ系”ラブコメ

公開日:2015/5/7

恋、するか落ちるか。

ハード : 発売元 : 小学館
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著者名:ながえ直 価格:※ストアでご確認ください

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 私のパソコンは恋愛仕様じゃない。「こい」と打ち込むと最初に「濃い」が出現する。次に出てくるのが何のありさまか「乞い」だ。それでもしつこく「こい」と打ち込んでやるなら、「故意」などと素っ頓狂な答えを返してくる始末で、「未必の恋」っつうような、恋に落ちると分かっていながらそのままにしておく、なぁんてちょっとステキな造語を思いついても、パソ君、なかなかそういう具合にあつらえてくれないのである。同様にして、「あい」の場合、「藍」「哀」「亜衣」という順番になっていて、「亜衣」が誰なんだか見当もつかないばかりか、いったいいつになったら「愛」にたどり着けるやらさっぱりおぼつかない。永遠の愛のさまよい子にでもなった気分を味合わせてくれるのではある。

 恋が常駐モードになっている人むけのコミックだ。要するにラブコミ、という言葉があるのかどうか、恋愛におけるさまざまな諸症状をリリカルに描いた短編集てな仕立てになっている。

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 神が人間に与えた悲劇に、セルフイメージというのがある。自分で自分を分析したキャラクターのことである。何が悲劇かと言えば、この能力はたいがい我々をマイナスイメージに導くものだからだからだ。地味、ネクラ、ひねくれてる、ケチ、引っ込み思案、顔がイケテない、みすぼらしい、アンド・ソー・オン。けれど恋はしたい、できれば高嶺の花のような格好いい王子様と、そう誰もがねだるのをとどめる権利は神にもないだろう。

 しかし、こうした自己像は、人生に無駄にくっついているのじゃあない。セルフイメージと、憧れの夢の殿方との落差、実はこれが恋の醍醐味なんである。そこに生まれる「切なさ」を生み出してくれる寸法だ。そのメカニズムが、本書の中にはありありと見て取れる。言い方を変えれば、この落差こそトキメク恋の必需品なのである。

 たとえば冒頭の一編「備品倉庫のハナコさん」では、人付き合いが苦手で、ほとんど備品倉庫に住んでいるような女子社員・山崎華子は、「私の定位置は薄暗く陽のあたらないここ」と覚悟し、備品の山を相手に日々整理整頓、いつどんな要望がこようとも即座に対応できる、たったひとりの業務に明け暮れている。そこへ飛び込んで来るのが女子たちの噂になるくらいイケメンの広崎。コピー機の営業マンである彼は、チャラいうわべとはうらはらに、彼女たちに迫られるのが怖くて備品倉庫に避難してくるのだった。自分でも意識しない想いに心を動かせながらも、「私なんか……」と極端に控えめなハナコであったけれど。

 当然ハナコと広崎のラブストーリーが期待されるわけだが、どうだろうこのロマンチシズムは。日頃低いセルフイメージに目くるめいている私たちは、ハナコに感情移入し、かなわぬはずの恋がかなうなりゆきに深いカタルシスを覚えるのだ。

 ロマンチシズムは逆説に根をもっている。イケメンのうえスタイルもいいとくる広崎がなかば女性恐怖症だというのも逆説だが、黒縁めがねで単調な仕事ばかりまかされているハナコの運命の転換だって立派な逆説。その逆説のひっくり返る点にこそこの本のドラマが花開く。

 でもですね、この本を私はこう読んだ。「女子にとっては受け身の恋が最高の恋」と。ここに収められた五本の短編コミックのヒロインは、決して自分からコクることはしない。そんなはしたない真似は地味女子はしないくいいいのだ。向こうから「恋はやってくる」のである。うわぁなんちゅう幸せ。めんどくさいことなんて何もしなくていい。駆け引きなんてもってのほか。ただドギマギしてれば優しい男が落ちてくる。タイトルの「するか落ちるか」の落ちるとはこのことなんじゃないだろうか、と、私は妄読するのであった。


ハナコさんは備品倉庫の地味ぃーなヌシ

いっぽう広崎君はこんな人

のはずが…

柊子先生はイケメンだけはお断りの恋愛恐怖症(高嶺の花は積まぬ主義)

高校三年生のヒロインが惚れたのはコーヒー店経営のオトナ(「珈琲の冷めない距離」)

警備室の松原さん怖すぎ。でも「私」には憧れの河田さんがいる。(夏は短し恋せよ乙女)