「我、妄想する故に、我有りと錯覚す」。偽の幸福感から脱する【ぜんぜん】の力

2012/2/2

禅的シンプルライフ

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上司「おまえ最近、元気無いな」
部下「いえ。【ぜんぜん】有ります…。」

上司「おまえ最近、心配ごと有るだろ」
部下「いや。【ぜんぜん】無いです…。」

【ぜんぜん】有ったり、【ぜんぜん】無かったり。
否定をもって肯定したり、無の中に有を起ち上げたり。

ほとほと日本人は、我に執らわれない力がある(はずだった;)。
しかし近代以降の、日本人の【ぜんぜん】はどうか?
いまこそ日本人は、【禅的生活】を思い出すときなのだ。

脳に電極をつながれたネズミの実験があります。
ネズミはその快感故に、現実の餌や異性を無視し、
性的オーガズムのスイッチを押しまくってしまう。

欲望を簡単に充足できるスイッチを目前にすると、
それが仮に幻想でも暴走中毒化し、餓死してしまう。

この悲しいほどの滑稽さは、
多くのストレスで自失する現代人とダブります。

極大化した大脳に、煩悩(電脳?)社会の電極をつなぎ、
経済的な快感スイッチを連続入力し自失する私たち。

「我、思う故に、我有り」のデカルト節は幻想で、
「脳、妄想する故に、我有りと錯覚している」のが現代人。

そんなガリガリな自我拡張の刺激が大好きな私たちに、
「我、【ぜんぜん】考えない故に、我【ぜんぜん】無し」と、
我欲や我執から脱却し、過剰な刺激を否定することによって
豊穣な心の穏やかさを回帰させてくれるのが禅の力。

心洗い、心空(くう)にして、ありのままになる。
褒められても、けなされても、浮き沈みしない。

天災、人災、貧困、飢餓と、無常が続く乱世の中で育み、
何百年も磨き続けた禅が、無常に震え、喪失に脅え、
過剰に中毒化する現代人の狭い自我を漂白し、
心が穏やかに安らぐ無我無念の境地へ達する方法を教えてくれます。

「お茶を飲むときは、ただ、お茶を飲む」。のが禅の教え。
お茶を一杯、静かに飲んでから、一読ください。
なんだか【ぜんぜん】安らぎますよー。

お掃除ブームに火をつけた「断捨離」は、もともとヨガの言葉。家に入ってくる不要なものを「断」ち、家にはびこるガラクタを「捨」て、モノへの執着から「離」れ、ゆとりある”自在”な空間にいる私を現じる、が「断捨離」。「断」と「捨て」が行動で、「離」が結果としての心の状態。ここでいう家というものを、自分の心と置きなおせば、「断捨離」は、自分の心のお掃除と同根であることがわかるだろう

ガー・レイノルズは、著書『プレゼンテーションzen』で、世界17ヶ国に、禅という日本文化の魅力を伝えた。その魅力は、アップルに勤めていた時に出逢ったスティーブ・ジョブスにも影響を与えたようだ。「抑制、シンプル、自然さ」「今、この瞬間を生きる」。禅の素晴らしさに瞠目した外国人は、自国の未来に悲観的になりがちな若い日本人にこそ、自国の素晴らしい文化である禅を知って欲しいと熱望する

「水を引き、水の豊かさを表現する枯山水の引き算力」。「白砂で雪を表現する見立て力」。「空間と一体になる素晴らしさ」。インドから中国に伝えられ、海を渡った禅は、日本という辺境地で「空なる空間」「簡素の美」「静謐さ」として熟してゆく。その日本芸術文化を具現化した庭園ガイドの写真もこの書籍の魅力

曹洞宗の開祖、道元は、中国の名刹で出会った典座を務める老僧に、料理も修行であることを学んだ。「(命を)いただきます」として、舌に集中して今を食する。現在に過去と未来が折りたたまれている命を味わう。すると、俄然、いつも食べている命としての味噌汁の味が深くなるのだ