愛も憎しみも学んだ――戦時下で子どもたちが選んだ衝撃の生存術とは?

エンタメ

2017/6/17

傷つけあう美少年の双子――心も体も痛みを感じなくなるまで

ぼくらは、<大きな町>からやって来た。一晩じゅう、旅して来た。「おばあちゃんの家に到着する」より

 この文章からはじまる『悪童日記』は、全62篇の作文集というスタイルで構成されている。書き手は双子の男の子で、年齢は10歳前後というところ。

 戦争が激しさを増す<大きな町>から、おばあちゃんの住む<小さな町>へと疎開してきた双子の「ぼくら」。長引く戦争によって人びとの心はすさみ、おばあちゃんをはじめ周囲の大人たちは、けっして「ぼくら」に優しくはない。そんな状況のなか、双子は自ら学び、覚え、生き延びる術を獲得してゆく――。

 ハンガリー出身の作家アゴタ・クリストフの処女作にして代表作。本国パリはもちろん日本でも1991年に翻訳版が出版されるや大反響を巻き起こし、雑誌『ダ・ヴィンチ』の創刊号(1994年5月号)表紙を、本木雅弘と共に飾っていることを覚えている人も多いだろう。

「ぼくら」はノートに、自分たちの体験する様ざまな出来事や、出会った人びとについて綴る。

 小題“森と川”では、家の近くの森を探索していると、両目を抉られた兵士の死体を見つけ、銃と弾丸と手榴弾を持ち帰って隠匿する。“兎っ子”では、燐家に住む少女・兎っ子が犬と性交している現場を克明に観察し、“恐喝”では司祭様をゆすり、“ほかの子どもたち”では町の大きな子どもたちと闘い、ぶちのめす。

 自分たちのための独自の学習法も編み出す。互いに向きあって罵詈雑言を浴びせあい、精神を鍛える。互いに殴り、打ちつけあって体を鍛える。断食し、飢えに慣れる。乞食の練習をする。心も肉体も痛みや屈辱を感じなくなるほど、それらが自分の感覚や感情だと認識しない状態にまで己をコントロールできるよう、ひたすらに鍛える。

美しい将校の顔に跨り……

 美少年である「ぼくら」はときに性的なアプローチも受ける。

 兎っ子からは初対面でフェラチオをほのめかされ、司祭館の女中にお風呂に入れてもらって、性交ぎりぎりの3P的な行為を経験する。とりわけ強烈なのは、「ぼくら」の家に寄宿している外国人将校との交流の数々だ。同性愛者でショタコンの癖(へき)もあるらしいインテリ美男ナチスという……どこのBLマンガのキャラだよ! とツッコミを入れたくてもうたまらない芳しさを放つこの将校のインパクトは、各々キャラが立ちまくっている登場人物たちの中でも異彩を放っている。

 「ぼくら」を愛で、子ども扱いするのではなく人間として対等な友情を示す一方で、一つベッドで眠った翌朝、自分の顔にオシッコをひっかけてくれ、跨って! と将校が懇願するエピソード“外国語”は、実に読んでいて気が遠くなりそうだ。

残酷で優しい「子ども時代」

 「ぼくら」は数多くの暴力や死にも直面する。それは個人的なもの(殺人や傷害事件)もあれば、国家的なもの(戦争や計画的集団殺戮)もある。規模や大小の差こそあれ、双子の目にそれらは等しいものとして映り、「ぼくら」は独自のモラルを育んでいく。人を殺すことをも学び、セックスも暴力も、つまり愛も憎しみも学んでいく。

 こういったものやことが、子どもの作文という態をとったシンプルにして直截な文体で、淡々と描かれる。それだけに、おぞましいものはどこまでもおぞましく、美しい瞬間は限りなく美しい。

 たとえば、犬と交わった後の兎っ子のつぶやき「動物しか、あたしを愛してくれないの」からにじみ出る悲痛さ。乞食の練習をして、受けた施しをすべて投げ捨てた後の「ぼくら」の独白〈髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない。〉に込められた情感。感傷を排した筆致であるにも拘わらず、もしくはだからこそ、不意打ちのポエジーが読む者の胸を、すっと刺し貫く。

 双子の綴る最後の作文の小題は、“別離”だ。何からの別離なのか。あるいはだれとの別離なのか。ぜひ実際に読んでみて、そして体験してほしい。おぞましくも美しい、残酷でいて優しい世界――だれにとっても覚えのある、子ども時代という世界を。

文=皆川ちか

●イラスト ichida
「Yahoo!知恵袋」の投稿をコミック化したコミックエッセイ『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(共著)が話題に。計3巻で、累計15万部以上のヒットに。他の著書に『家に帰ると妻がカフェをやりたがっています。』『ダンナが会社をやめたいと言いだしまして』『うちの会社ブラック企業ですかね?』『本当はこわい仏教むかし話』がある。

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