41歳で突然の“脳梗塞”に襲われたルポライター そこから見えた景色とは?

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更新日:2017/8/7

『脳が壊れた』(鈴木大介/新潮社)

 私は過去に『貧困とセックス』の記事を書いた。その著者である鈴木大介氏は『脳が壊れた』(鈴木大介/新潮社)という書籍も出版していた。あまりに直球で興味を引くタイトルに、私は思わず手にとった。

■見えづらい障害

 2015年初夏、鈴木氏は41歳で脳梗塞を発症。なんとか命を取り留めたものの、後遺症として高次脳機能障害が残ってしまった。高次脳機能障害とは、脳梗塞による脳細胞の損傷が原因で起こる障害の一群のこと。手足などの身体の麻痺とは別に、様々な問題が生じてくることを指す。記憶障害・注意障害・遂行機能障害・認知障害などが挙げられる。

 これらは一見して分かるものではないため「見えない障害」「見えづらい障害」とも呼ばれ、本人、家族、医師でさえもなかなか実態が分かりづらいという側面を持つ。重い後遺症であれば周囲にも伝わりやすく援助も受けやすいが、この「見えづらい障害」が軽度に残ってしまった場合、「なんか性格が変わってしまったね」と簡単に済まされたり、周囲から面倒な人物という烙印を押される差別を受けたりしかねない。

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■本やマンガが読めない

 当然鈴木氏にも高次脳機能障害が現れた。本書では、鈴木氏の体に起こった様々な症状について詳細に書かれており、そのうちの一つとして、本やマンガが全く読めなくなってしまったそうだ。「半空間無視」という比較的ポピュラーな障害によって、目に映る左側の世界を脳が勝手に無視し、注意力が著しく低下してしまった。

 さらに、ほんの数行文字を読むだけで強烈な睡魔が襲ってくるようになったそうだ。その睡魔は強烈で、深酒を重ねた二日酔いの睡魔や意識レベルに似ているらしい。マンガのコマを追ってセリフを読んでも、全くストーリーがつながらない。そしてどうしようもない睡魔に襲われる。これは「神経疲労」状態だという。人間には肉体疲労、精神疲労、そして神経疲労というものがある。筋肉の使い過ぎで肉体が動かせなくなるのと同様に、神経の使い過ぎによって著しく意識が低下し、最終的には寝てしまう。鈴木氏は少しずつ負荷をかけて、徐々に回復していった。しかし今でも注意欠陥やパニックが残ってしまっている。

■過去の取材対象と重なる既視感

 鈴木氏は元々ルポライターを職業としており、女性の貧困を掲げ、取材活動を続けてきた。その中には今すぐ生活保護を受給する必要がある取材対象もいて、福祉事務所に掛け合い、支援を試みたことがあるという。しかしそのほとんどが失敗に終わったそうだ。まず約束の時間に来ない。役所に提出する書類や申請書を説明し始めると、高確率で眠り始める。半眼状態でフラフラする者もいたそうだ。音読しても当人の頭に入る気配がない。

 当然(あなたのためにやっているのに、どうしてそんな態度なんだと)腹が立ってくる。当時の鈴木氏はこの状況を(精神科医から処方される安定剤や睡眠導入剤がまだ抜けていないからか…)と推測した。しかし、高次脳機能障害を患い、上記の症状を体験したとき、既視感を覚えたそうだ。彼女たちも同じではないだろうか。貧困による多大な不安とストレスによって神経を疲労させてしまい、認知判断力や集中力が著しく低下してしまったのではないだろうか。

■心に嵐が吹き荒む

 まだ入院していた頃、鈴木氏は売店を訪れた。レジで小銭を出そうとしたとき、やはり症状は現れた。小銭に目のピントが合わず、手は震え、何枚小銭を数えたかも分からない。その様子を店員は「まだか」という目つきで見ていたという。鈴木氏の心の中には嵐が吹き荒み、「お前が数えろよ!」と思わず言いたくなったそうだ。そのとき、また同じようにかつての取材対象者を思い出した。

 その取材対象者は、夫からのDVに何年も苦しみ、精神科医から処方される抗うつ薬に依存していた。取材対象者がドラッグストアで買い物をしたとき、同様のシーンがあったそうだ。小銭を数えることに苦労し、さらに財布を落として床に小銭が無様に散らばった。取材対象者は涙を流しながら床の小銭を拾おうとしたが、ついに諦め、涙と鼻水を流しながらレジに五千円札を叩きつけ、釣銭ももらわずに店を後にした。

 当時の鈴木氏はこの光景を見て(なんてキレやすい人だろう)と思ったそうだが、高次脳機能障害を患った今では、その気持ちが痛いほど分かるという。トラウマチックな体験や強い精神的なダメージは、目には見えないが、脳には傷となって残り、様々な認知のズレを生む。そう確信したそうだ。

■生活困窮者や貧困者が本当に必要とするものは

 孤独と混乱の中にたたずむ生活困窮者や貧困者に共通するのは、認知のズレだそうだ。世間一般では、そういった人々をいちはやく生産の現場に戻そうと就労支援を行う。しかし長年取材をし、高次脳機能障害を患って、健常者と苦しむ者の両方の景色を見た鈴木氏は、別の結論に至った。彼らに必要なのは、就労支援ではなく、医療なのではないか。それも、後遺症から立ち直るために行われる、リハビリテーション医療ではないか。

「できないことを他者に分かってもらえない」ことが何より辛いと語る鈴木氏。うまく行動や作業を制御できず、非常に不自由な思いをし、常にイラついた状態になる。高次脳機能障害を患っている人だけではない。発達障害や精神疾患を患う人も同様だろう。上記のように、不安やストレスによって見えないダメージを負ってしまった人もそうだろう。世の中にはいったいどれほどの数の「言葉も出ずに苦しんでいる人々」がいるだろうか。

 私は『貧困とセックス』と同様に、本書を読んで「誰もが本書を手にとって読んでほしい」「この事実を全ての人に共有してほしい」と感じた。世知辛い世の中ではあるが、幸いなことに、苦しむ人を助けようと手を差し伸べる人々もいる。しかし、その手をつかむことができない人もいる。なぜなら手の差し伸べ方が間違っているからだ。

 正しい理解とはいったい何だろうか。本当に必要なものは何だろうか。私たちは何を知らないのだろうか。そうしたことに気づくこともなく、私たちは何気なく生活している。別にそれが悪いわけではない。私たちは自分の毎日で、自分の人生で必死だからだ。しかし世間一様に並べられた、「あの人小銭ぶちまけたくせにキレてやがる」「生活困窮者には就労支援すべきだ」「女性を食い物にした風俗は世の中から一掃すべき」という、事実を知らないことから生まれる偏見は一掃すべきだ。本書が偏見で凝り固まった人々に届くことを願う。

文=いのうえゆきひろ