シャーロック・ホームズと伊藤博文が共演!? ベストセラー作家が放つ、興奮の歴史ミステリー 松岡圭祐著『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』(松岡圭祐/講談社)

2010年以降、BBC放映のドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』をきっかけに、全世界で巻き起こったシャーロック・ホームズブーム。今年はファン待望のドラマ第4シーズン『SHERLOCK 4』が放映されるということもあり、その人気と勢いはとどまるところを知らない。そんなブームのさなか、ホームズの新たな冒険を描いた注目のミステリー小説『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』(松岡圭祐/講談社)が刊行された。

これはそのタイトルどおり、名探偵シャーロック・ホームズが明治期の偉人・伊藤博文と競演を果たすというコンセプトの作品。ミステリー界の巨匠・島田荘司が「これは歴史の重厚に、名探偵のケレン味が挑む興奮作だ」と熱い推薦コメントを寄せているように、ミステリーと歴史小説、フィクションと史実が高いレベルで融合したエンターテインメントに仕上がっている。

本作でホームズが挑むのは、1891年に起こった「大津事件」にまつわる謎だ。日本史の授業で習ったという方もいるだろうが、大津事件とはロシアの皇太子ニコライを日本人巡査が襲撃した、明治史を語るうえでは欠かせない出来事。ロシアとの戦争を引き起こしかねなかったこの事件は、犯人に無期懲役の判決が下ったことで一度は決着したはずだった。ところが事件から4ヶ月経って、突如ロシアは態度を硬化させる。この急変の裏にはいったいどんな思惑があるのか? 秘かに来日していたホームズは、旧友の伊藤博文を助けるため、事件の真相に迫ってゆく。

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ホームズの生涯に謎の空白期間があるというのは、一部でよく知られた事実だろう。具体的に言うなら短編「最後の事件」で宿敵モリアーティ教授とともにライヘンバッハの滝に姿を消してから、「空き家の冒険」で再登場するまでの約3年間だ。この間ホームズがどこで何をしていたかは分かっておらず、長年ファンの関心と憶測を呼んできた。

本作で描かれているのはこの空白期のホームズである。モリアーティを倒したホームズは死を装い、兄の勧めに従ってはるばる日本まで逃れてきた、というのが本作の提示するストーリー。胸躍るこのアイデアを成立させるため、少年時代のホームズと伊藤博文をあらかじめ知り合わせておくなど、著者はあらゆる工夫を凝らしている。歴史とフィクションの混ぜ合わせ方があまりに巧みなので、読んでいてつい“ホームズ来日説”を史実と錯覚してしまうほどだ。

長い船旅を終え、言葉の通じない異国で暮らすことになったホームズ。彼の胸にはときおり不安や心細さが湧きあがる。人々の温かさに感激したり、日本人について誤解していたことを反省したり、という心の動きもある。プライドが高く居丈高というイメージのホームズだが、本作では陰影に富んだキャラクターとして描かれているのがポイントだ。そんなホームズと伊藤博文が国籍や世代の壁を越え、次第に友情を深めてゆくという人間ドラマは、優れた“バディもの”として読者の共感を呼ぶことだろう。

一方、頭脳派ヒーローとしてのホームズの活躍もたっぷり堪能できる。日本語もロシア語も分からないホームズにとって、今回の事件はいわばアウェイゲーム。大きなハンデがあるなか、知性を頼りにひとり真相に近づいてゆくホームズの姿を、著者は鮮やかに描きだしている。大津事件という生々しい現実を背景に、ファンが期待する“ホームズらしさ”を最大限に引き出してみせた著者の手腕には、大きな拍手を送りたい。

コナン・ドイルのオリジナル版についてもあちこちで言及がなされており、ホームズファンなら何度もにやりとさせられること必至。ホームズに詳しい作家の北原尚彦が「ここまで書ける作者は、立派なホームズ専門家だと言っても過言ではない」と解説で太鼓判を押しているように、ホームズ愛の感じられる作風であるのも嬉しい。原作者ドイルの死後もホームズ物語は各国の作家によって書き継がれてきたが、本作はそうした伝統をしっかり引き継ぎながら、オリジナリティあふれる物語に昇華してみせた秀作だ。

もちろんホームズや伊藤博文についての知識がなくても、まったく問題なし。歴史小説としてもミステリーとしても驚くほど間口の広い作品になっているので、興味のある方はぜひ手にとってみてほしい。重厚な歴史と華麗なフィクションが織りなす一大パノラマに、きっと圧倒されるはずだ。

文=朝宮運河