「人肉嗜食」のお話。人類のタブーに切り込む異色の学術書が復刊! 中野美代子著『カニバリズム論』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『カニバリズム論(ちくま学芸文庫)』(中野美代子/筑摩書房)

 カニバリズムとは、人が、人の肉を食べる行動や習慣のことである。人類史上最大のタブーといわれ、誰しも嫌悪感を抱く行いだろう。しかし、それならばなぜ、カニバリズムは始まり、幾度も人類史の中に登場するのだろうか?

 そしてまさしく今、この記事を読んでいる方々、おそらく本書『カニバリズム論(ちくま学芸文庫)』(中野美代子/筑摩書房)に興味を持っていると思われるが、なぜ、関心を抱いたのだろう。怖いもの見たさだろうか。それとも……。

 カニバリズムには、何か人を惹きつける一種異様な「魅力」があるのだと思う。

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 本書では、カニバリズムが行われてきた「過去の事例」や、魯迅の『狂人日記』、その他の文学で描かれる人肉嗜食の意味合いなど、古今東西問わず、様々な角度からカニバリズムを論じている。

 カニバリズムは、いくつかの性格に区分することができるという。一つは単純に食糧として人肉を食べること。また、怒りや憎しみを向けた相手を、いわば「復讐」という感情から発して食する行為。呪術的な儀式として――食べた相手の力を得る――の行為。一口にカニバリズムと言っても、その動機や目的は大きく異なる。

 本書で論じられているのは、もっぱら「食糧」としてのカニバリズムだ。しかしそれは、「快楽」や「嗜好」としての「食糧」ではなく、あくまで「そうせざるを得ない状況だったら、人間は人間を食べるのか?」という点に重きを置かれている。

 19世紀、実際に起こった「メデューズ号事件」というものがある。フランス海軍の指揮下にあった艦船メデューズ号は、モーリタニア沖で座礁し、小型のボートに乗れなかった兵卒など147人が、即席で作られた巨大な筏(いかだ)での漂流を余儀なくされた。

 精神的に追い詰められ、死者が出る。食糧が尽きた人々は、ついにその死者の肉を食べることで、生きながらえるのだ(といっても、ほとんどが死亡し、生き残ったのはたった9人だった)。

 問題は、その「後」だ。

 生き残った彼らには「法的な制裁はなかった」。世間の非難は浴びたが、「カニバリズムの行為そのものは法的制裁の対象とはならなかったのである」。生命維持のため、やむを得ない行為だと判断されたのだ。しかしこれは、「人が人を食べてはいけない」という絶対的なタブーを破っている。なのに、罰せられることはない……ここに、一つの矛盾が見出せる。

 著者の中野美代子氏は近代の「良識」や「体制」の浅薄さをあざけり、「生命はすべて等価であるというポスチュラート(公準)」が「自明でない」……つまり、キレイゴトだと指摘している。

 ……突然、カニバリズムから話題がズレたように感じられたかもしれないが、実は本書の真骨頂は、ここにある。本書はただ興味本位で「グロいこと」を語っているわけではなく、カニバリズムを通して、近代批判を行っているのだ。

 人の命は本当に「公平」なのか。私たちがカニバリズムに対して抱く感情――それを嫌悪する「良識」は、いつの時代も不変なのか。本書では戦争とカニバリズムを挙げて、「二つながらを厳格なタブーとして見せかけの平和に酔いしれている現代」(原文ママ)と批判している(こちらの詳細は書いていると紙幅が足らなくなるので、ぜひ本書を)。

 人はなぜ、カニバリズムに惹かれるのだろうか。その答えの一端が、きっと分かるはずだ。

文=雨野裾