これから仕事で求められるのは「何をするのか」より「誰になるのか」

ビジネス

2017/8/16

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    『デザインの仕事』(講談社)

 今までと同じやり方ではもう通用しない。そんな話を数年前からよく耳にするようになった。ウェブ社会の進化、パラダイムシフト、人工知能(AI)に代替できない能力やスキルへの関心の高まり……。そんな時代の転換期を、どうとらえたらよいだろうか? JTの「大人たばこ養成講座」広告や本の装丁などで知られるグラフィックデザイナー・寄藤文平さんの新刊『デザインの仕事』(寄藤文平/講談社)にはこう書かれている。

今は、過去にデザインの仕事で結果を出してきた年長者だからといって、かならずしも経験によって有利になるわけではないんですよね。「人工知能」のような新しいテクノロジーに注目が集まりがちですけど、僕は自分の「感じ方」の変化のほうが気になります。
AからBへと変化するのではなく、ABCDと変化しつづけることが、普通になっている気がするんです。
(中略)
そういう新しい日常みたいなものの中でどうふるまえばいいのかというのは、年長者も年少者も同じスタートラインに立って、考えているところだと思います。

◆これから仕事で求められるのは、「何をするのか」より「誰になるのか」

 そのようなことを考えている時期に、本書の依頼を受けたという寄藤さん。聞き書きを担当した名インタビュアー・木村俊介さんは、最初に次のような言葉を投げかけて寄藤さんに考えるヒントを与えている。

仕事を始めたばかりの頃、僕は「自分にとってデザインとは何か」ばかり考えていました。どうにかして自分のデザインをしようとしていたのです。そうして仕事をしていく中で、気がつくと「デザインにとって自分とは何か」について考えるようになっていました。
取材の中で、木村さんはそれを「何をするのか」から「誰になるのか」ということなのではありませんか、という言葉で問い直してくださいました。

◆本当に「自分らしく」あろうとするなら、まずは金を稼ぐしかない。

 その前提からはじまる体験的仕事論は、まるで寄藤さんの頭の中身をひっくり返したように、多種多様な思考や考察の過程が臨場感あふれる言葉で語られている。

 たとえば、理想主義者だった父や予備校の先生の影響で“常に物事を問い続け論理的に突き詰めようとする自分”と、現実主義者の大学の先輩の影響で“リアルな世界を生き抜こうとする自分”と、2つの間を行き来しながら仕事を自分のものにしようともがいていた若い頃。

 博報堂時代は、「資本家のあぶく銭をもらっている」という罪悪感を抱いて広告を否定する一方で、「自分」なんていうものは「減却」してロボットか奴隷のように仕事をこなした時代でもあった。そのときのことを、戻りたくない時期ではあるものの「仕事の量の多さに鍛えられたことは間違いありません」と振り返る。当時の心の支えが横山光輝の『豊臣秀吉』だったという話は、理由を知って共感する人も多いはずだ。

 独立した後は、イラストの依頼が増えると同時にその報酬の低さと、消費されて終わるだけの仕事の仕組みを問題視した。そして次のような答えを見出す。

本当に「自分らしく」あろうとするなら、まずは金を稼ぐしかない。金を稼ぐんだったら頭を使って「個性」でも「手法」でも何でも、手持ちのものを全部さらして、売っぱらうしかない。それが当時の僕のリアルな答えでした。

 それはたとえば、フリーペーパーの『R25』などで使われることになった「KIT25」というイラストモジュールの仕事に結びついていく。しかし、イラストに対し場当たり的な注文が増えてきたことで、仕事全般との関わり方を根本的に考え直すことに。その結果、増やしていったのが、『海馬』という本が転機になった装丁の仕事だ。

◆表現されたものには、露骨なまでに作った人の生き方がにじみ出てしまう

 これまでやってきた仕事の具体例も多く、なぜそうしたか? なぜそうなったか? 自問自答しながら自己分析している。結局のところクリエイティブな仕事に求められるのは、才能やセンスなどという漠然とした得体の知れないものよりも、こうして物事の本質を解き明かす批評眼や思考力なのだろう。それはつまり、自分という人間と徹底的に向きあう作業ともいえる。

 逡巡したり矛盾を感じたり、七転八倒しながら物事を突き詰めてきた寄藤さんが、今だから語れる「答え」ともいえる言葉の数々。誰もが同じスタートラインに立っている今、この率直で誠実な言葉で語り尽くされた体験的仕事論を読めばきっと、次の一歩へ踏み出すヒントやきっかけが見つかるはずだ。

文=樺山美夏