武士はお金次第で買えた身分? 江戸時代の格付けを徹底解説

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公開日:2017/8/31

『江戸時代の「格付け」がわかる本』(洋泉社)

 江戸時代といえば、武士を頂点とする厳しい階級制度があったと多くの人が聞かされているだろう。そして、時代劇ドラマや映画でも高圧的に振る舞う武士がたびたび登場する。しかし、実際の江戸時代はフィクションと異なり、一筋縄ではいかない格付けが存在していた。

『江戸時代の「格付け」がわかる本』(洋泉社)は、歴史の教科書には載っていない江戸時代の身分制度について勉強できる本だ。本書を読んでみると武士は威張ってばかりではなかったし、町人も虐げられてばかりではなかったのだと理解できる。読者は江戸時代の暮らしをより身近に感じられるようになるだろう。

 江戸時代の身分制度といえば「士農工商」という言葉が有名である。しかし、階級ごとにも細かく「格付け」があったと現代の調査では分かっている。大名、御家人、大奥など、上流階級とされていた身分の中でも、上下関係は存在していたのだ。

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 中でも面白いのは「徳川御三家」内の格付けである。世襲制である将軍家において、将軍直系の子息がいない場合、近縁にあたる尾張・紀伊・水戸の大名から後継者が選ばれることになっていた。しかし、御三家は決して対等な関係だったわけではない。石高や官位から察すると、尾張が一番格上に位置していたと見られる。ちなみに、格下とされていたのは水戸。『水戸黄門』で知られる大名家だっただけに、意外な扱いだ。

 御三家から選ばれた将軍と言えば第八代・徳川吉宗が有名である。しかし、吉宗はもともと紀伊家の四男で、将軍はおろか紀伊家を継ぐ可能性すら少なかったという。第五代将軍・綱吉に接見し、越前国葛野藩の藩主に引き立てられたことから、奇跡の出世コースが始まる。紀伊家を継いだ兄たちは次々と早死にし、吉宗が紀伊藩主となったのが1705年。そして、1716年には第七代将軍・家継の急死によって一番血筋が近かった吉宗が将軍となる。このとき、将軍就任の話が突然すぎて吉宗には将軍に値するだけの官位がそなわっていなかった。急遽、正二位の官位を授かって無事、稀代の名君は誕生したのである。

 そもそも、「士農工商」が身分制度だったという説自体にも疑問が投げかけられるようになってきている。現代の研究では、「武士」の肩書きを金銭次第で譲渡することも珍しくなかったと判明しているからだ。武士の中でも不自由なく暮らせるのは石高が大きい大名に仕える者だけ。大金で身分が売れるなら、生活はむしろ楽になる。また、裕福な商人からすれば、「武士」という名誉を手に入れられるメリットがある。仙台藩に関しては、藩の苦しい財政状況を救うため、町人相手に武士の身分を売り出していたという。このような事例を見ていくと、「士農工商」とは厳格な身分制度ではなく、単なる職業区分に過ぎなかったようにも思えてくる。

 人間だけでなく、店舗にも格付けは存在していた。たとえば、料亭のランキングを表にした「見立番付」である。まるで力士の番付よろしく、東西の人気店が「大関」「関脇」「小結」といった具合に評されている。現代におけるミシュランガイドのようなものだろう。また、高級店は各藩の江戸居留守役たちによる情報交換の場として重用されていた。ただし、食事代がかかりすぎて藩の財政を圧迫することも少なくなかったとか…。

 江戸時代といえば、身分に縛られた窮屈な時代というイメージが現代人の間に残っている。しかし、本書を通して伝わってくるのは見栄にあくせくする武士の悲哀や、経済や産業を支えていた農民や町人の威厳だ。本書を読み終えると、時代劇の見方も変わってくるのではないだろうか。

文=石塚就一