不朽の名作『モナ・リザ』を生んだのは「利子」だった!?―『コレクションと資本主義』が教える経済と芸術の驚くべきつながり

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『コレクションと資本主義 「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』(KADOKAWA)

 アートと経済。この二つこそ、いまを生きる私たちの必須教養である。

 両分野の泰斗、東京画廊オーナー山本豊津と経済学者・水野和夫が、対談を重ねて、そう喝破していくのが『コレクションと資本主義 「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』(角川新書)。

 新書にしてはかなり「あつい」一冊だ。ページ数があって分厚いのはもちろんのこと、専門的「知」とそこから導き出される「論」を余さず披露せんとする両人の熱量も、ひしひしと伝わってくる。

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■第一人者たちの軽やかさ

 アート&経済という意外性のある取り合わせ、じつは非常に相性がいい様子だ。両者の歴史を辿るほどに深い相関関係が明らかになり、それぞれの知見がもう一方の理解を強く促す。

 20世紀を代表する美術潮流たるシュルレアリスムは、

「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いは美しい」

 との言葉を掲げて、異質なものがぶつかることで美が生じるしくみを表した。

 同じことが本書でも起きている。水野は作中で、

「経済と関係ないものの中に経済の本質は潜んでいる」

 と述べる。山本の説明するアートの理論が、経済の本質を穿っていると感じての言葉である。もちろん逆も然り。両者のこの柔軟さは特筆ものだ。異なものを受け入れて学ぼうとするふるまいは、第一人者になるほど、なかなか難しいものだろうに。

 ジャンルをひょいと越える著者たちの軽やかさには恐れ入る。そう、いまどき業界にどっぷり浸かって、安全な場所からだけ表現や言説を発していても、その業界の外にいる人にはまったく響かないのである。

■資本主義を体現するゴシック建築

 ジャンルを越えた広い視野をもつと、話のスケールが大きくなるのがいい。たとえば本書では、絵画の最高傑作たるレオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』がいかにして生まれたかという問いに、一つの解答が示される。それが世界経済における利子の誕生・普及と関係するのだというから、驚かされてしまう。

 話の筋はこうだ。

 もともと人間に備わっている欲求に、所有欲がある。それを肯定し拡大せんとして、近代資本主義は生まれ出た。

 水野はその資本主義のありようを、「蒐集」という概念によってまとめ上げる。世界を丸ごと所有し、自分のシステムにすべてを取り込んでしまえ。そんな暴力性を秘めた蒐集という考えを根本に、経済は発展してきたのだ。

 資本主義が芽を出すのは、12〜13世紀のイタリアでのこと。宗教的な抑制が緩み、解き放たれた蒐集の欲望は、あっという間に広まっていく。

 水野の言を受けて、山本は蒐集概念が形を成した表現を挙げる。13世紀のゴシック建築である。それまでの古典的で宗教的なロマネスク様式から、この時期一挙に華美な様式が登場する。フランスのアミアン大聖堂などは40メートルを超える威容を誇り、内部はステンドグラスで派手に彩られている。

 人間の根源的欲望に根ざした蒐集概念が、かように飽満で過剰な表現に行き着いたという論には、至極納得がいく。

■経済の自由とルネサンス文化は不可分

 蒐集と表裏の関係にあるのが、利子の存在だ。蒐集したものへの価値を認めれば、その資産を貸し出したときに見返りを得るのは当たり前と考えられ、利子は世に広まる。

 古代、物々交換の時代から、利子は活用されていた。12世紀にフィレンツェや北部ヨーロッパの先進都市で貨幣経済が発達すると、その必要性はいや増した。

 それでも中世においては、キリスト教が利子の普及を抑えた。聖書には、利子をとってはいけないとの記述が、れっきとしてあるのだ。人々はそれを尊重してきたが、時代が流れるとルールも変わる。1215年の第4回ラテラノ公会議では、活発化する経済に押されるようにして、利子が認められることとなった。

 利子をとるかどうか、利率をどうするかは個人が決めればいい。それはつまり、宗教的権威が個人の活動、裁量、そして自由を認めたことにつながる。

 時期を同じくして、美術の世界ではこのころ初めて、作者の名前が表に出るようになった。それまでは宗教装飾の一部としか見なされていなかった美術が、自立した個人の営みと認められたのである。13世紀にはイタリアのピエトロ・カヴァリーニ、チマブーエ、ジョットらが自分の名とともに作品を残した。

 経済が個人の存在を浮かび上がらせ、その恩恵のもと芸術家が活動を活発化させるという循環ができた。そうなれば、このあとの展開は容易に想像できる。人々はもっと自由な商業活動を要求し、獲得する。それに伴い芸術も、さらに自由な表現を求める。その帰結として、ルネサンスの時代がやってくる。

 ルネサンスは日本語に訳すと「人間復興」。宗教的な価値観に縛られず、人間的な感性を取り戻そうという運動は、起こるべくして起きたのがわかる。

 ルネサンスはイタリアでの動きが中心だったが、毛織物工業と国際貿易で栄えた北方のネーデルランドでも似た状況がもたらされた。ここで15世紀、ファン・エイク兄弟によって油彩画技法が生み出される。それまで絵画といえば、壁に直接描いたりすることが多かったのに、板やキャンバスに気軽に描くことができるようになった。重ね塗りも容易だから、画家は絵を持ち歩いて描き足していくことも可能に。どこにでも運べる絵画は、商品として有用となり、高い商品性をもつに至った。

 個人が、宗教的な縛りから離れて人間世界のことを自由に描く。できた絵画は、商品として流通する。そうした状況が整った先にルネサンス期の大傑作、いや人類の表現史全体を見渡しても白眉の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』は誕生したのだ。

 神でもなんでもない普通の女性の姿を、油彩技法で、持ち運びできるサイズの画面に描いて、その佇まいと微笑みだけによって人を惹きつけ続ける作品は、利子の普及に象徴される経済社会状況のもとでこそ成立した。

 そう説かれると、なるほどアートはいつだって時代と社会の産物であると実感するし、小難しいと敬遠しがちなマクロ経済も、人の暮らしをよりよく理解するためにあるのだと得心する。

 アートと経済、双方における最良の案内人が展開する希有壮大な話の数々を、たっぷりと味わいたい。

文=山内宏泰(美術ライター)