自撮り棒、ポケモンGO…ヒット商品が人々に広まった奥にある民俗学的秘密を探る

社会

公開日:2017/9/19

『21世紀の民俗学』(畑中章宏/KADOKAWA)

 今この記事を読んでいただいている場所が100年後にどうなっているか想像した場合、皆さんの頭にはどのようなイメージが思い浮かぶでしょうか。SF映画のような未来性が加わっているかもしれないですし、何かしらの事件があった想定で廃墟のようなイメージが思い浮かぶかもしれません。しかし、長寿国日本といえども、おそらく私自身は存在していないでしょう。そこでは次世代の人々が、私たちの残したシステム・建物・環境の中で暮らしているはずです。

 現在進行形の出来事や流行について民俗学の切り口から分析する『21世紀の民俗学』(畑中章宏/KADOKAWA)では、文化の継承についてこのように語られています。

すべての文化財を保護し、保存し、継承していくことなどとてもできない。地域の重荷になるのであれば消え去ってしまうのも、やむをえないことだろう。近代建築、戦後建築にかぎっていえば、「記憶」や「主観」、そして「物語」に依存するしかないとわたしは思う。

 無形であれ有形であれ、人々の思いや記憶がどのように受け継がれていっているかを研究する民俗学の観点を教えてくれる本書は、新しいと思われていることは古いものに依存していて、古いと思われていることの要素が実は新しい流行の中に入り込んでいることを教えてくれます。

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 たとえば、彫刻家オーギュスト・ロダンが「考える人」を彫ったとき、百数十年後に同じ姿勢で、主に親指を使って人々がスマートフォンと呼ばれる高度な精密機器を操作しているとは考えもしなかったでしょう。現在、「考える人」と同じ姿勢で私たちは百数十年前と同じように考えている上、指先から自分の考えをインターネットで世界に向けて発信し、ワンクリック決済まで行っているのです。

 この百数十年で大きく進化したものとして映像と写真があります。映像の歴史は約120年、写真の歴史も約200年。フィルムからデジタルへ、KBからMB・GB・TBへ。メモリが増えるのはいいけれど、膨大な思い出を整理するのに苦労している方も多いのではないでしょうか。「写真を撮る」という行為において、比較的最近現れた自撮り棒という存在を、著者はこのような流れの中で眺めています。

一九八〇年代以降、カメラは小型化から消耗品化(使い捨てカメラ)を経て、携帯化し、いつでもどこでも写真を撮るという習慣を日本人に植え付けた。そして現在にあっても、移動先でシャッターを押すときが「ハレの日」だという心性は失われることはなく、集合写真ならではの記念性は、自撮り棒に引きつがれていった。

 そもそも、記念写真を撮るようになる前、絵を描く前、人はどのように瞬間瞬間を記録していたのでしょうか。著者は写真ができる以前の過去を想像させてくれると同時に、「写真を撮る」という行為が将来もっと違う形になった時代から振り返られる瞬間をも想像させてくれます。

 著者は自撮り棒と座敷童の興味深い関連に、さらに話題を展開させていきます。その意外な関わりについてはぜひ書中でご確認ください。

文=神保慶政