あの津田塾も例外ではなかった… 女子大の凋落は時代の趨勢なのか?

暮らし

公開日:2017/9/28


■偏差値74を誇った津田塾が、65に「凋落」

 昭和生まれで団塊ジュニアの私が大学受験生だった1992年ごろ、女子の進学先として女子大や女子短大は大きな選択肢の一つだった。そもそも、大学進学するという時点で「女子短大」か「女子4大(四年制大学)」かは学力中堅層の女子にとっては大きな問題で、女子は現役合格・入学して卒業した時に20歳か22歳かの2年間の差で、就職や結婚に大きな違いが出ると考えている人もまだまだ多かった。いま40代半ばとなった美魔女(←言った者勝ち)の私からすれば、20か22かの違いなんてもはや老眼でかすむ誤差の範囲だが、当時は一大事だったようだ。

 「短大は花嫁修行の場」「女子4大はある程度のキャリア志向がありつつ、お見合いや結婚市場での受けは抜群」「共学4大は学力の高い女子向け」といった大雑把な分類傾向があったように思うけれど、だが女子大カテゴリ内にも厳然たる学力ヒエラルキーが存在した。なかなかどうして、女子大の最高峰クラスはそこらの私立4大なんかよりはるかに難関で、ミドル層の私立4大あたりに行く「テキトーにイメージのいい4大に入って大学で彼氏見つけるんだ〜」なんて女子よりもはるかにゴリッゴリの、本気(ガチ)のアカデミック女子たちの居場所でもあったのだ。

 だからかつて1992年に私立女子大最高峰として君臨し偏差値74(!)をマークした津田塾大が、25年後である2017年には偏差値65(!)へ下げたとのニュースは、共学人気に押された「女子大の凋落」として、一定以上の年齢層にノスタルジックな感慨を呼んだように思う。

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■「女子大出身者のあの感じ、好きなんですよ〜」

 女子の大学進学率がうなぎのぼりに上がっていた団塊ジュニア世代では、国公立・私立の共学4大人気もうなぎのぼりだったけれど、その中であえて国立女子大最高峰のお茶の水女子大や名門私立女子大の津田塾女子大、東京女子大、日本女子大あたりを選んで進む子の後ろ姿には高邁な「女子高等教育」への信念さえ感じたものだ。お嫁さん女子大で東大とか早慶とかのインカレテニサーに入ってちやほやされて、「一般職で就職してエリート花婿見つけるの〜」的な中堅層以下の女子大進学者とは極太の一線を画す、「チャラチャラした貴女たちとは違って勉学に本気な女子だけの環境でアカデミックを追求しますが何か?」という覚悟を映した瞳をしていたように思う。

 「そういう難関女子大出身者の持つ、お嬢さん育ちなのに『いえ、自分でできますから!』っていう硬質な感じ、僕は結構好きなんですけどねぇ」と、バブル時代から様々なモテ武勇伝を持つアラフィフ男性はぼやく。キャリア志向で長らく男性社会の中を戦い抜いてきた自覚の強いお茶の水女子大出身のバリキャリアラフォーも、「出身校を聞かれて答えた途端、役員クラスのおじさんの態度がガラッと変わって『ああ、あの学校はいいよねぇ〜』『しっかりした”お嬢さん”だから安心だな』と漠然とした憧れを一方的に投影される、なんてのはザラでしたね」とため息混じりに笑う。勉強志向が強いにせよ弱いにせよ、確かにそれぞれの女子大のブランド力は男子へ一種の神話性をまとった好印象を与え続けてきたようだ。

■「女子大の役割は終わっていません」

 2000年代に入ってから、教育現場は少子化の顕著な影響を受けた。学級数は目に見えて減り、都心部や過疎地域では公立小学校の合併・閉鎖も相次いだ。団塊ジュニアが学生になる頃に大学や学部新設でハコを広げすぎたせいで、学生募集数が入学志望者を上回った「大学全入時代」が到来したと言われたのもその頃だ。

 学生が集まらず経営赤字が膨らむなどのケースが増え、女子短大の4大化や共学化が進められたり、短大閉校も見られた。これは首都圏のお嬢様ブランド女子大にも波及し、例えば東洋英和は1999年に女子短大を4大化したし、東京女学館は短大を廃止して2002年に4大を開校したもののそれも2013年で閉校、立教女学院短大は2018年、青山学院女子短大は2019年以降の募集停止を発表している。

 中高に関しては根強い女子校人気がある中、大学に関しては共学志向が強いのは、「嫁入り前の」女子を女子だけの環境に隔離しておくという、かつては十分に主流だった社会的な価値観が鳴りをひそめたのが大きな一因だろう。戦後すぐの時代には女性の活躍はまだ非常に限定的で、女子の高等教育の場を広げる必要から女子短大や女子大が背負った役割は非常に大きかったが、社会が成熟するにつれてその存在意義は薄れた、だから女子大の凋落は時代の趨勢だ、とする見方は強い。

 だが、女子大は役割を終えたのではないかという意見に対し、津田塾大学・高橋裕子学長は「共学で成し得ない、女子学生の伸び代を育てることに特化した大学として」「女子大の役割は終わっていません」と反論する(週刊ダイヤモンド2017年9月16日号)。

 「いまだ男女で色分けされている社会で、変革を担う女性になるため」には「女性だけで大きな課題を成し遂げた原体験を持ってから社会に出るというのはとても重要なこと」。津田塾は「女性のために女性が中心になって、大学運営をしている。学生は男性がいないからこそ、センターに立って活動する経験を積めます」(同)。

 確かに、センターに立つ、主役を張るという経験には、それをした者にしか見えない風景がある。「女性が”強く”なった」とおじさんたちはボヤくものの、まだまだ決して女子がセンターに立つばかりではない共学社会で、女子にセンターから見える風景を教える場所があるのは心強いことだ。

 先ほどのお茶の水女子大出身、バリキャリアラフォーはこう本音を漏らす。「女子大は確かに数が多すぎます。レベル上位から下位まで大学のカルチャーも学生の学ぶ意欲もバラバラ。進学の動機もさまざまですし、ここらで本当に『女子大でありたい』という積極的な動機を持つ女子大だけが残るよう、淘汰されていいと思いますよ」。

文=citrus コラムニスト 河崎 環