西郷隆盛の首を手にした瞬間、武士の時代は終わった――。「紀尾井坂の変」の舞台裏には敵味方に分かれた親友同士の想いがあった『西郷の首』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『西郷の首』(伊東潤/KADOKAWA)

 9月29日(金)に電子書籍が配信された(紙本は全国書店にて発売中)『西郷の首』(伊東潤/KADOKAWA)を涙々のままに読み終えてから、大久保利通が暗殺された「紀尾井坂の変」をウィキペディアで検索して、もう一回泣いた。事の顛末や犯人の名前など、「情報」だけが書かれた画面の、その「そっけなさ」に悲しくなったのだ。

 実行犯の一人の名前は島田一郎。本作の主人公である。彼が大久保暗殺に到るには、様々な想いがあった。妻子もいたし、親友もいた。それらを全て捨てて、「この国をどうにかしたい」という情熱ゆえに、最後の手段として暗殺に到ったのだ。

 もちろん、本作は小説なので、実際の島田一郎がどういう人間だったかは推察するしかない。けれど何も考えずに行動していたはずはなく、そこには確かに、自分の命を懸けてでも成し遂げたい「想い」があったはずなのだ。

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「情報」だけでは、その「想い」は伝わらない。だからこそ、史実を丹念に調べ上げ、人物像を構築し、事実に依拠しながらも史料が語らない「想い」を後世の人に伝える時代小説は、素晴らしいものだと思う。

 本作は情報性も高く、時代背景を徹底的に活写し、重厚な歴史を私たちに示しながらも、読み物としてエンターテインメント性に富んだ、せつなく熱い物語である。

 主人公は一郎。そして親友の千田文次郎。二人は江戸末期の加賀藩に生まれた幼なじみの足軽。一郎は知識豊富で「志士になりたい!」「日本をよい国にしたい!」と熱い志を持つが、向こう見ずなところもあり直情的。文次郎は剣の腕前は一流。思慮深く温厚だが、どこか冷めているところもある。二人はお互いの足りないところを補い合える唯一無二の親友だった。

 物語の前半は、幕末の動乱と二人の青春期が描かれている。文次郎は猪突猛進な一郎をいさめたり、時には一緒に無茶なことをしたり、同じ女性に恋をしたり。共に日本の将来を語らい、合戦にも出陣した。

 だが、明治維新を迎えてから、二人は別々の道を進むことになる。

 文次郎は軍人として明治政府に仕える身となるが、一郎はその政治方針に憤慨し、反政府派となる。維新後、かつての武士にとっては受け入れがたい政策が次々に施行された。武士としてのプライドを傷つけられ、生活の糧も奪われ、貧困にあえぐ人々が多く存在した。一郎は、そんな時代を許せなかった。

 一方で、政府側は日本が諸外国に植民地化されないよう、旧体制を捨てる必要性を強く感じており、文次郎もまた、新しい時代では、それぞれが信じる別の生き方を模索していくしかないと感じていた。

 ついに、一郎は独裁政治を行う諸悪の根源として、政府の筆頭格である大久保利通の暗殺を企て上京する。そのことに気づいた文次郎は、出世の道を捨て職を辞し、一郎を止めるため急ぎ東京に向かうが……史実で明らかになっている通り、一郎は大久保暗殺を成功させ、自首し斬首刑となる。

……本作、本当にいいお話だった。感動した。読みどころも興奮したところも泣きどころも、いっぱいあって、一つに絞りきれない。長編大作なのに、1ページたりとも「つまらない」と感じなかった。時代小説のイヤな堅苦しさやとっつきにくさはない。描かれているのは友情であり、家族愛であり、郷土愛でもあり……多くの人が共感して、胸が震えるような物語になっているのではないだろうか。

 ちなみに、本作は『西郷の首』というタイトルだが、西郷隆盛はあんまり出てこない。あまりにも登場しないので、私は最終章まで「なんでこのタイトルなのだろう…」と邪推していた(すみません)。

 しかし、一郎と文次郎を中心に、「武士の時代の終わった瞬間」を、そして、「新しい時代の幕開き」を描いた本作の「想い」を表せるのは、このタイトルしかなかったなと、今は思う。

 文次郎は、西郷の首を発見した史実の人物だ。私は文次郎を通して自分が首を持っているかのような気分になり、そのあまりの「重さ」に、打ち震えてしまった。文次郎が西郷の首を見つけ、抱えた時に感じたその「本当の重さ」を、ぜひ、読者にも味わってほしい。

文=雨野裾