なぜ「男装した女性」が求められたのか。日本人の心に根強く残る「風流」の心とは?

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公開日:2017/9/28

『歴史のなかの異性装』(服藤早苗、新實五穂:編/勉誠出版)

 世界には、昔から「男装する女性」「女装する男性」の存在が史料から見受けられる。『歴史のなかの異性装』(服藤早苗、新實五穂:編/勉誠出版)では、身分や性別によって厳格な決まりのあった時代に「異性の装束を身につけた人々」の、世界各地の歴史が紹介されている。

 なぜ、人々は異性の姿となるのだろうか。また、それを「受けいれて見る側」はどういった心理を持っていたのか。平安時代以降、男装をして踊った「白拍子」という女性を例に挙げると、異性装の発端は「風流」にあるそうだ。

 風流とは、美しい景色だとか、粋な行動をしている人や季節感のある物事に対する日本的な美意識の一つである。それと異性装はどのような関係があるのだろうか。

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 教科書にも出てきた「白拍子」。男装をして歌ったり踊ったりした女性芸能者のことなのだが、「なんで男装してたの?」と疑問に思ったことはないだろうか。

 端的に言ってしまうと、「その方が観客が喜んだから」である。なぜ喜んだかというと、「珍しくて面白かったから」。言わば「観客の目を悦ばすための趣向」の一つであったのだ。

 宗教的な意味や時代背景に裏付けされた何か深い理由があると思っていた私は、正直ちょっと拍子抜けしたのだが、もう一歩踏み込んでみると、そこには日本人独自ともいえる美意識の「風流」があったようだ。

 中世では「人を悦ばすような趣向」のことや、また「本物ではない何かを本物に見立てて趣向を凝らす」「物事を『新しく見せ』、人を『うれしがらする』」ことが風流の意味であった。白拍子の男装はこういった美意識から生じた、日本人らしい「魅せ方」だったのである。そう考えた時、歌舞伎の女形も「本物ではない何かを本物に見立てて趣向を凝らす」風流の美意識が隠されているのかもしれない。

 一方、「観る側」を楽しませるためではなく、本人の意識の問題として――現代で言えば、ジェンダーの観点から――異性装を行っていた例もある。

 物語の話にはなってしまうが、平安時代に書かれた『とりかえばや物語』は女性の遊びや所作をするおとなしい男性が女装し、男性のような遊びや所作をする活発な女性が男装して社会に出るお話がある。これは風流とは関係なく、本人の性意識から端を発して異性装を行っているものと考えられる。

 また、室町時代に作られた『新蔵人物語』という絵巻にも「私は男になって走り歩きたい」と願う女性が、男装をして宮中で活躍するお話が存在する。この物語の女性は異性の恰好をするだけではなく、身体のレベルにおいても男性であること望んだそうだ。

 どちらも、あくまで創作であり、史実として考えるわけにはいかない。もしかしたら「男性みたいに女性も自由になりたい!」という、身も心も女性の「妄想」と「願望」のために書かれた物語かもしれない。だが、こういった物語から推測するに、「男性らしい女性」や「女性らしい男性」は実際に存在したとしてもおかしくなく、彼らが自身の性意識に違和感を覚えていた可能性も否定できない。

 以上、日本における異性装の「理由」をご紹介したが、本書は複数人の研究者の小論文が編集されているので、人によって様々な主張や観点を持っている。また、本記事は日本にだけ触れたが、アジア、ヨーロッパにおける異性装についても書かれているので、情報量が多く、どれも興味深く読めるものばかりだった。

 歴史における異性装は、文化や趣味嗜好、ジェンダーの問題も含まれつつ、多義的な意味を持ち展開されている。なぜ人は男装・女装をするのか。日本と他国を比較したり、その時代の歴史背景を調べたりと、自分なりに考察を重ねてみるのも面白いだろう。

文=雨野裾