トーストの耳は落とすべき?「コブラサンド」の気になるお味は…? 古今東西の作家たちが綴る「パン」への想い

食・料理

公開日:2017/10/5

『パンソロジー パンをめぐるはなし』(池田浩明:編/平凡社)

 日々の食生活を美味しく彩るパンたち。その起源は古代メソポタミアにあり、当時は、小麦粉を練って薄く焼いただけの平焼きパンだった。やがて、エジプトでふんわりと膨らんだ発酵パンが生まれ、さらにそれがギリシャに伝わり、ハチミツやクリーム、ドライフルーツなどを用いて作られるようになったという。そして世界中へと広がり、日本でも明治以降に広がり、人々の生活に溶け込んでいった。

 これほどの長い歴史を持ち、世界中で食べられているだけに、古今東西の文学に登場するパン。そのパンを巡る名作・名言をパンの研究所「パンラボ」主宰である著者が厳選したアンソロジーが、この『パンソロジー パンをめぐるはなし』(池田浩明:編/平凡社)である。

 まず小生が注目したのは、漫画家でありエッセイストでもある東海林さだおが書く「パンの耳」に関する一編だ。パンの耳それ自体を好んで積極的に食べるという人は、あまり多くはいないだろう。食への造詣が深い東海林でさえも「食パンの耳問題」と称し、「食パンの耳はまずい」とすら言いきっている。しかし、彼は築地の喫茶店で「ふり払おうとしても払いきれない耳への愛憎」を目撃した。

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 その喫茶店「愛養」ではトーストが名物なのだが、その提供方法が面白い。常連客は注文の際に「耳ありにジャム」「耳二つ落としバター」などと耳の落とし方とトッピングを指定するのだ。特に「耳三つ落とし」には「一片だけはどうしてもふり払うことができなかった男の悲しみと愛情」と東海林は綴る。耳への愛憎など小生には全くなかった感覚ではあるが、食感のアクセントとして考えると、こだわっても面白いなと思う。三つ落としなど、一片だけ残る耳の食感を是非試してみたい。

 トーストと共に馴染みの食べ方といえばサンドイッチがある。耳を落とした食パンに具材をはさんで食べる印象があるが、フランスパンで作っても美味しい。具材もさまざまにあり、特筆したいのは作家でエッセイスト、そして冒険家でもある椎名誠がベトナムで食べた「コブラサンド」。そのものズバリ毒蛇として知られるコブラをから揚げにして、フランスパンにはさんだものだった。

 首を落とされてもなお、ぐねぐねと動き続ける強靭な生命力を持ったコブラが、食材となっていく様子を椎名は、得意の軽妙な言葉でイキイキと描写している。「ヘビ屋は鉈をふるって素早く二十センチぐらいの長さに切っていく。二十センチぐらいの長さのただのコブラの【部品】になってしまったのだが、まだみんなして、つまり部品同士でぐねぐねやっているのだ」との描写には、舌を巻くばかり。勿論、現地で愛されている食材だけに「さっぱりしてうまい」そうだ。

 ヘビが苦手な人に申し訳ないので、ここで気分を変えて、童話に出てくるパンを見てみよう。といってもこれもまた奇妙なパンなのだ。それがルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する「ハバタキチョウ」である。訳によっては「バタツキパンチョウ」とも。「はねはバタパンのうすい切れで、からだはパンの皮、頭はお砂糖のかたまりです」という実に不思議なチョウ。それは、原語だと「Bread and Butterfly」、つまり「Bread and Butter(パンとバター)」から着想した言葉遊びによって生まれたという。登場場面はごく僅かなのに、小生の心にずっと残り続ける、実に美味しそうな名脇役だ。

 小生もパンが好きであるが、本書に集められたそうそうたる作家陣の視点と描写には、実に感嘆させられた。広い世界の食卓で親しまれ続けた分、さまざまに物語があるものだが、そんなことは気にさせず、身近で我々の食生活を支え続けている。馴染みのスーパーで週に1度、パンのセールがあるので、今度まとめ買いでもしてこようか。

文=犬山しんのすけ