「助からない」ことに抵抗しない!?  1分1秒を争う救急医の驚異の判断力

ビジネス

公開日:2017/10/24

『救急医の驚異の判断力』(角由佳/PHP研究所)

 病気、大けが、中毒などによって急病で運ばれてくる患者の救急医療を任される救急医。患者の容体が急変するため、他の医師よりもスピーディで正確な判断と行動力が要求される職業だ。なぜ救急医は人の生死が関わる緊迫した状況で正確かつ迅速な判断を下すことができるのだろうか。『救急医の驚異の判断力』(角由佳/PHP研究所)では、現役救急医の角由佳さんが救急医の仕事を紹介しながら、その驚異の判断力について迫っている。

 私たちの人生は常に意思決定の連続であり、その素早さと正確性が人生を豊かにしていくと言っても過言ではない。明日、何か判断を下さなければいけない場面に出くわし、びくびくせず自信を持って立ち向かえるよう、ぜひ本書を参考にしてほしい。

■判断しないために準備する

 救急医の仕事は患者が救命救急センターに到着する前から始まっている。特に受け入れ前の5~10分は仕事が山積みで、そのほとんどがイメージトレーニングに費やしているそうだ。絶えずワーストケースシナリオを設定して、それに対応できる気持ちと備品の準備をしておく。

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 研修医を指導する指導医でもある角さんは、研修医たちに具体的なイメトレの指示も出していく。患者が重症かそうでないか、患者に声をかける、酸素を投与する、エコー検査は誰がするのか、ひとつずつ口に出してチーム全体でシミュレーションを共有し、お互いの役割分担を決めていく。こうすることでいざ患者を目の前にしても「何をすればいいか分からない」と手を止めることもないそうだ。

 救急医に与えられている時間は限られている。だからこそできる限りイメトレをすることで、やるべきことを事前に仕込むことができ、患者を受け入れてからの行動が格段にスムーズになる。治療が始まってからの判断の負荷を減らせる。救急医の迅速な判断力の根底には、限られた時間の中で行われる圧倒的な準備があった。

■いつも通りにベストパフォーマンスを発揮

 救急医は、多くの死傷者が発生した事件や事故に対応することもある。角さんによると、緊急性の高い事件・事故を経験した医者は、それ以前と以後で、大きく変わるそうだ。「カオス」に対処する方法を身につけるらしい。

 たとえば、最善の結果を得るために患者の重症度に応じて治療対象者の優先度を決定する「トリアージ」と呼ばれる選別法がある。助からない患者、軽傷だから治療を後にする患者、一見元気そうで実は危ない患者を発見し、判断する能力が試されるのだが、この作業は患者が泣き叫ぶ戦場のような状況下で、平時のような冷静さを保ちながら挑む必要がある。非常事態に慣れていない医者ほど半興奮状態に陥り、「自分がなんとかしないと」という責任感から大声で指示したり、たった数秒が待てずに看護師の処置を急かしたり、現場を混乱させ、全体のパフォーマンスを下げるような行動に出がちだ。

 角さんは、災害時でも平熱を維持して治療ができる人、いつも通りにベストパフォーマンスを発揮できる人が強い医者だと断言している。これはまさしく、私たちが人生の大きな岐路に立たされたとき、誰かに大きな判断を任される状況に追い込まれたとき、ぜひ見習いたい心構えだ。

■救急医の生死観

 最後に、答えのない話をしたい。角さんが語る救急医の生死観だ。人の生き死にの瀬戸際に立ち会う救急医は、必然的に多くの患者の死を看取ることになる。角さんは自身が新米救急医だった頃と比べて、「助からない」ことに抵抗しなくなってきたそうだ。これは諦めとは違う。培ってきた経験と医学的な根拠によって、医療の限界を早めに察知するようになる。それは「命を救う」から「納得のいく最期を迎えられるようお手伝いをする」ことに意識を切り替える瞬間でもある。「痛みをとってあげよう」「家族が受け入れる時間を作ろう」「できるだけむくまないように、元気なときと変わらない顔にしてあげたい」。この意識の切り替えができず、最期まで死に抵抗してしまうのが若い医者や死と関わることの少ない科の医者だという。

 「奇跡が起こるかもしれない」と期待する家族もいる。こんなとき角さんは無理に説得することなく、「できる治療をやっていきましょう。ただ、ご本人に痛い思いをさせるのはやめましょう」と告げて、治療を続けるのだそうだ。患者の家族が患者を延命させるのも、延命させないもの正しい判断。その価値観をジャッジしないのが医者としての正しい姿勢ではないか。角さんはそう語りながらも、多くの医者は自身の生死について「延命してほしくない」と明言していることも本書で記している。しかし、いざ自分の子どもが同じ状況に陥ったとき、それが子どもではなく恋人だったとき、延命をするべきなのか? 延命は忌避すべきものなのか? 幸福なかたちの延命はないのか? 未だに自分の心の中で揺れ動いていることも吐露している。

 医療の発達によって、人は昔より生きている状態を長く維持できるようになった。だが、それは同時に無理やり生かされているように見えるときもある。人は死に逆らえない。だからこそ個人の生死観が尊重される時代になっており、それに寄り添う医者の姿勢も問われている。

 どんな人も人生を歩んでいるとドラマティックな瞬間が訪れる。そのとき私たちは自分の人生がより豊かになる正しい判断を下せるだろうか。あとで後悔しない決断を下せるだろうか。本書を読むと、否が応にも死について考えさせられる救急医の哲学が伝わってくる。辛い状況でも乗り越え、次の患者を救うために最善を尽くそうと日夜考え続ける彼らの姿がある。救急医から学ぶことは多い。私たちは自分のため、幸せにしたい誰かのため、人生というものを考え続ける必要があるのかもしれない。

文=いのうえゆきひろ