自傷癖や不眠症、拒食症…心に傷を抱えた若者たちを描く 高橋弘希著『日曜日の人々』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

『日曜日の人々』(高橋弘希/講談社)

 人が「生きたい」と思う理由はひどく些細なもので、ふとした瞬間にそれを見失ってしまうとしても不思議なことではない。年間約3万人。減少傾向にあるとはいえ、多くの人が自ら死を選ぶには、どんな理由があるのだろう。なんとなく生きづらい。生きる意味が見出せない。もし、死に向かいたくなる理由を具体的に言語化することができるならば、それは救いになるかもしれない。

 高橋弘希氏著『日曜日の人々』(講談社)は死に惹かれる心に静かに寄り添う青春小説。高橋氏は、2014年『指の骨』で新潮新人賞を受賞、芥川賞候補作にも選ばれたことで知られるが、最新作『日曜日の人々』は、彼の新境地といえる。自助グループに通う心に傷を抱えた若者たち。彼らは何を考え、何に苦しんでいるのか。心に傷を抱えた人たちに、この小説はやさしくそっと寄り添う。

 主人公は、大学生の「僕」。彼は、同い年の従姉・奈々と互いに好意を寄せ、恋人のような関係を築いてきた。しかし、ある時、奈々は自殺してしまう。後日、「僕」のもとに送られてきたのは、彼女が残した手記。そこには、自傷癖や不眠症、摂食障害など、心身を病んだ人々が集う自助グループ「REM」のことが綴られていた。奈々が出入りしていた「REM」では、参加者が個人的な告白を原稿にまとめ、発表するという活動を行っているらしい。奈々の死に納得がいかない「僕」は正体を隠して「REM」に参加。参加者の告白が集められた文集「日曜日の人々」のなかから、奈々の告白を読み、彼女の死の真相に迫ろうと画策する。なぜ奈々は自殺したのか。奈々の死の真相に迫るのが目的のはずが、次第に会に集う人たちとの交流を深めていく「僕」。そのうちに文集「日曜日の人々」を読むことにのめりこんだ彼は次第に自身の心の闇に飲み込まれていく。

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 自助グループとはなんと不思議な集まりなのだろう。 知る由もなかったその実態をこの物語はありありと描き出す。そして、繊細かつリアルな描写とともに、そこに参加する者たちの胸中を解き明かしていく。サークルの代表で、不眠症の吉村。副代表で盗癖を持つビスコ。拒食症のひなの。どの登場人物にも心惹かれてしまうのはどうしてだろうか。誰にだって、悩みはあるもの。たとえば、物語には、ファミレス店員の「そろそろ閉店なので出ていってもらえますか」という一言が原因で自殺してしまった人のエピソードが出てくる。何気ない言葉が「この世から出ていってもらえますか」という言葉に置き換えられて聞こえる程の葛藤。何も理解できていなかった自分に気づかされる。彼らの問題は一括りにはできない。それぞれが重大な問題を抱え、それを持て余しているのだ。「日曜日の人々」にまとめられた1人ひとりの告白の重み。主人公が「REM」のメンバーと心を通わせるように私たちも彼らの悩みに共感していく。

「気をつけたほうがいい。近親者が自殺すると、遺された者の自死率は何倍にも跳ね上がるというから」

「僕にはここが、人々の最後の受け皿にも思えます。理由は聞きません。それが吉村さんの選択であるなら、僕はお手伝いします」

 生きるための理由も、死ぬための理由も、明確にするのは難しい。はたから見れば、意外と単純でつまらないことが生きるための理由になり、自ら死を選ぶ理由になることもある。負の感情には言い知れぬ吸引力があるから、その引力に負けてしまいそうになる時もある。だが、その引力に引かれずにどうにか争って踏みとどまりたい。生きていたい。

 若者たちの生死に迫ったこの小説は、現代の闇と希望が描かれた傑作。若者たちの切実な叫びが、痛いほど胸に突き刺さってくる。

文=アサトーミナミ