東芝崩壊の全真相をつづった『東芝の悲劇』――「不適切な会計」の正体と虚栄にまみれた無様なトップたち

ビジネス

更新日:2017/11/20

『東芝の悲劇』(大鹿靖明/幻冬舎)

 2015年に「不適切な会計」問題が発覚してもうすぐ3年。根深すぎる問題にどう対処したらいいのか、東芝自身も道を見失ったかのように迷走を続けている。栄華を極めた大企業がなぜこれほど凋落してしまったのか。誰も止めることができなかったのだろうか。その問いに答えるかのように、『東芝の悲劇』(大鹿靖明/幻冬舎)には罪深きトップたちの悪行が並べられていた。

罪深き5名のトップ

 まるで小説と見間違うほど詳細なドキュメンタリーでつづられる本書には、東芝が崩壊した全貌が書かれている。その主な登場人物となるのが、コンプレックスと名誉欲が人一倍強い西室泰三、西室に院政を敷かせた岡村正、「バイセル取引」で不適切な会計をまい進させた西田厚聰、暴力的な恐怖政治で社内を混乱に陥れ、福島第一原発にすがりついて傷口を広げた佐々木則夫、「バイセル取引」の生みの親で西田の傀儡に過ぎなかった田中久雄、計5人の歴代社長たちだ。

 ハードカバーサイズで360ページにも及ぶ長い物語の中には、東芝の沈みゆく歴史と彼らの数えきれない所業が記されている。ここでは、不適切な会計の温床「バイセル取引」、“暴君”佐々木則夫の2点をご紹介したい。

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東芝を支えた「打ち出の小槌」

 2004年、西田厚聰は赤字が続くパソコン部門を建て直すため、社内カンパニーであるPC&ネットワーク社の社長に就任する。そのとき資材調達部長に就いたのが田中久雄だった。この2人はパソコン部門再建のため、ある手法を生みだす。それが台湾のODMメーカーを使った「バイセル取引」だ。

 ODMとは、商品開発自体は東芝がするものの、あとの設計・デザイン・製造はすべて受託製造会社にゆだねること。これまでは台湾メーカーが自身で部品を調達してパソコンを製造していた。しかし東芝がCPU・HDD・液晶などの主要部品を大量に調達した方が、台湾メーカーが独自に部品を調達するより大きな価格交渉力を手に入れられる。東芝が安く調達した部品を台湾メーカーに売って(セル)、彼らに組み立ててもらって完成品を買い戻す(セル)手法を「バイセル取引」と呼ぶ。当初は、コスト削減のために取り入れた手法であり、これ自体は一般的で違法性はない。問題はここからだ。

 この台湾メーカーたちは東芝以外の大手メーカーからも同様にパソコン組み立て生産を請け負っていたので、東芝は自身の部品調達価格がライバル社に漏れないよう、本当の調達価格に一定の金額を上乗せして供給していた。これを「マスキング価格」という。このマスキング価格を異様に高く設定したり、必要以上に部品を卸したりすれば、東芝は一時的に台湾メーカーから多くの資金が得られる(台湾メーカーに部品を売りっぱなしで、完成品を買い戻していない状態のこと)。

 バイセル取引を導入した後の2005年度以降、東芝のパソコン部門の月次決算を見ると、四半期末の6月、9月、12月、翌年3月はほぼ規則的に黒字化するものの、他の月は慢性的に赤字になっている。本来は利益計上できないはずの「バイセル取引で得た架空の利益」を不正計上した状況証拠と言えるだろう。

「バイセル取引」はまさに自由に決算数字を操作し、粉飾できる「打ち出の小槌」状態だったのだ。その額は一時期800億円にも達した。そしてその「打ち出の小槌」を振るうよう部下に「チャレンジ(=強要)」し続けたのは、他ならぬ西田だった。

 のちにこの不正会計を知った佐々木は、「素晴らしいからくりだな」と逆に感心しているので、もはや救いようがない。

佐々木則夫の異常な暴君ぶりと虚栄

 パソコン部門の業績を称えられ、のちに東芝の社長に就任した西田厚聰。そして西田の後任となった佐々木則夫は、バイセル取引の悪用を見直すどころか、不適切な会計をどんどん拡大させていった。ここから“暴君ぶり”が発揮される。

 東芝の隠語で「キャリーオーバー」と呼ばれる、本来計上できない収益を計上したり、計上しなければならない経費を先送りしたりする手法によって映像事業を黒字化させ、テレビ大手のソニーが長く赤字に沈んでいた時期に東芝が再建したように見せかけた。事態を見かねた部下がバイセル取引とキャリーオーバーの解消策を立案し、それを進めるよう進言すると、「借金を返すのはいいが、自分のお金がない中で、だれの金で返すのか」「解消してもいいが、赤字にすることは絶対に許さないからな」と怒鳴りつけた。

 2012年9月27日、上半期末の9月30日まで残り3日と迫るなか、赤字が240億円にのぼるという報告を部下から受けると、佐々木は「あと3日で120億円の営業利益を改善してほしい」と命じた。部下は前述の手法で何とか「120億円の営業利益」を達成したものの、さすがに業を煮やし、バイセル取引とキャリーオーバーを解消する対策を新たに考えだし、佐々木に直訴した。すると佐々木は「赤字は絶対に許さない」と怒鳴りあげ、「ダメな事業を即、切るというのは破滅主義」「利益が出ていないからやめるというのは大学教授みたいな意見だ」と、よく理解できないロジックで一蹴した。

 なぜ佐々木が異常なまでに「利益」にこだわるのかというと、会長に就いた西田との関係悪化にあった。その背景には両者の著しいコミュニケーション不足が挙げられる。東芝には、社長月例などの社内会議が終わると、社長が会長や相談役に報告する慣習があった。しかし佐々木は社長に就任しても西田会長に報告をすることはほとんどなかった。西田が細かい数字をあげて佐々木をやりこめたことが原因で、報告に行かなくなってしまったのだ。

 さらに佐々木には求心力がなかった。部下の報告に納得がいかないと、佐々木はバインダーを投げつけたり、ダーツのように部下の顔に向かってボールペンを投げつけたり、「お前は零点だ」「ばかもん」などの罵詈雑言も日常茶飯事だった。提出資料には完璧を求めるのだが、執拗に直させる割に修正箇所を指摘しない。何度も資料を直す部下が続出し、最高で154回も書類を修正させられた部下もいたそうだ。

 この結果、半導体・家電・パソコン部門の幹部は佐々木に怒鳴られるのを嫌がって、「佐々木を何とかしてください」と不満をこぼすようになった。それを知った佐々木は部下に対する疑念が渦を巻くようになり、自身のよりどころを「利益」に求めるようになった。

 それを象徴するかのように、佐々木は財務部の社員に歴代社長の売上高や利益のランキング表を作らせ、どの社長が歴代何位なのか分かるよう順位づけた通信簿のようなものを作成した。それによると佐々木は営業利益1位、純利益1位となっていた。このランキングを持参して、東芝のドンである西室泰三の部屋を訪れ、いかに自分が優れた経営者かアピールしたという。

 ここまでご紹介した内容、本書のごく一部にすぎない。本書を読んで筆者は開いた口がふさがらなかった。かつて日本を支えた大企業は、これまでのトップの手腕によって潤沢な資産が消え失せ、今や傾きかけている。東芝に起きたのは、もはや人災だ。会社を経営する上で大切なのは「経営者が無能じゃないこと」を非常に理解させてくれる1冊だった。

文=いのうえゆきひろ