自分のう○こを見せびらかす「オトナの一休さん」―その心は?

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公開日:2017/11/7

『オトナの一休さん』(NHKオトナの一休さん制作班/KADOKAWA)

 座禅を組んで、両の人差し指をなめ、その指で坊主頭をぐるぐる。ぽく、ぽく、ぽく、ぽく……ちーん。

 さまざまな問題を得意のとんちで解決していくアニメ『一休さん』はとても痛快だった。幼なじみのさよちゃんや新右エ門さん、寺の小坊主たちはもちろん、将軍様、意地悪な桔梗屋の利兵エだって困ったことが起こるとみんな一休さんを頼る。ちょっと生意気だけどりりしくて頼もしい一休さん。もし自分のう○こを見せびらかしはじめたら、きっとさよちゃんは大泣きするだろう。

 今年6月までNHKのEテレでアニメ『オトナの一休さん』が放送された。1週間に一度、5分間だけ。たまたま観ることができてとてもラッキーだった。かわいかった頃の面影はまったく残っていない。ぼさぼさ頭に髭面でアダルトな一休さんに面食らったが、すぐ夢中になってしまった。これが史実に則った姿だというのだから。

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 ご存じの通り、一休さんこと一休宗純は室町時代に実在した僧侶。歴史の教科書をめくると、確かに現代に残る肖像画はぼさぼさ頭の冴えないおっさんだ。「禅宗の腐敗に対して、奇行、狂詩でこれを風刺した」と説明されている(『新詳日本史図説』/浜島書店)。あのかわいらしい一休さんと全然違うじゃん! Eテレの番組を書籍化した『オトナの一休さん』(NHKオトナの一休さん制作班/KADOKAWA)から彼の型破りっぷりを見ていこう。

 弟子たちの読経中。一休は独特な臭いをまといながら、お経の上に包みをのせて現れる。

弟子「和尚、これは一体…」
一休「今ワシがしたばかりの、一本糞でーす」

 思わず鼻をつまんでブーブーと非難する一同。新右衛門さん(実在の人物。『一休さん』では年上のお兄さんだが、『オトナの一休さん』では一休さんがかわいがる弟子)は驚き、兄弟子の養叟は激怒する。恥ずかしげもなくう○こを人前にさらしたからではない。ありがたいお経の上にう○こをのせているからである。

一休「無縄自縛だな。お前たちが、ありもしない縄で己を縛っているということだ」

 思い込みや固定観念を捨てろと言いたかったらしい。一休さんの有名なぶっとびエピソードのひとつだ。お経の上にう○こをのせるなんてナンセンスだと思ってしまうが、よく考えてみればただの紙である。実に深い。なるほど、きっと日常でも常識に捉われすぎていることがあるはずだ。今この身に感じている窮屈さはそのせいかも…。オトナの一休さんはそんなことを考えさせてくれる。ちょっと心が軽くなる。

 コドモの一休さんではあってはならないことだったが、オトナの一休さんではエロスが解禁されている。むしろ自由奔放なエロスに満ちている。例えば、大燈国師という偉い僧侶の大法要で養叟や新右衛門さんがお経をあげていると「だめよー、いやーん」といやらしい声が聞こえてくる。養叟たちが部屋に駆けつけると、一休さんと美女が情事にふけっていた。

養叟「無礼者!」
一休「無礼者は、ろくでもない法要を行っているお前たちではないか」

 大燈国師は20年もの間、この世に生きる人の苦しみを知るため、貧しい者たちに交じって生活していた。一休さんの行為は大燈国師の生き様を無視して華々しい法要を営むことに対する抗議だったと解釈される。

 う○このエピソードと同じく、ほかにやり方はいくらでもあったのではないかと思う。しかし、この常人には理解しがたい行為がまさに禅問答。「そもさん!」「せっぱ!」とやり合うコドモの一休さんと一緒である。彼も「このはしわたるべからず」と立て札のある橋を堂々と渡ったり、和尚さんが大切にする水あめをみんなで分け合って全部食べてしまったり、ずいぶん突飛な行動に出ていた。オトナになってやっていることがちょっと低俗になっただけである。いや、ここは常識を疑うべき。オトナの一休さんからしてみれば低俗と決めつけるのは浅はかだろう。より自由度が増しているのだからむしろ高尚と言えるかもしれない。

『オトナの一休さん』は破戒僧と呼ばれた一休さんの本来の姿に果敢に挑戦する。タブーのない表現はまさにオトナの一休さんの教えに基づくものだ。いかにも賢そうで気品のある一休さんも良かったが、下品に見えるけれど実は深い一休さんはそのギャップも相まってカリスマ性を感じる。ショック療法とでも言うべきだろうか。あまりにも衝撃的で心に深く刻まれることは間違いない。

 オトナの一休さんは何かと「きたない!」「気持ち悪い!」と簡単に切り捨ててしまう私たちを高尚な禅問答で諭す。よりよい心の在り方を提示し、人生において本当に大切なことを教えてくれる。

文=林らいみ