世界への新しい感触をもたらす画期的な小説
公開日:2012/2/13
実を言えば僕は村上龍の美学は好きではないのだ。だけど、この「限りなく透明に近いブルー」だけは物凄い力で「読まされて」しまった。ページの奥から目玉を引っぱる見えない糸が出ているみたいに、活字から目が離れなせなくなったことを白状したい。
舞台はたぶん、東京の福生、基地の町だ。恋人リリーの部屋は通称ハウスと呼ばれ、ヨシヤマやカズオ、レイ子にケイ、さまざまな若者達やときには米軍の兵士達が集まって、ありとあらゆるドラッグをためしながら、くる日もくる日も暴力とらんちき騒ぎが繰り返されている。主人公の19歳のリュウはその仲間に加わり、なにひとつ新しいものを探しているでも、あしたに望みを託しているでもない彼らの姿を見つめて日々を過ごしている。
もはや周知のことではあるけれど、なによりもまず、圧倒的にたくましい文体の力を指摘しておかねばなるまい。なにかこうゴツゴツした快感を伴ったものが喉元をゾリゾリと降りていくあの感じだ。ページはまたたく間にめくられていく。
そうやって読みながら、この作品への感想は、三つの波に別れてやってくる。
大方の場合、第一波は多かれ少なかれ嫌悪感である。心も体も乱れ、すさみきった若者たちが、絶望すらもちあわせずセックスとドラッグにただれていく様子ばかりを、強烈な文体でほとんど強引に読まされる。これは読者の強姦ではないのか。もっ、サイテー。ただのポルノじゃん。誰バタイユって? 馬体湯? そんな具合である。
ここをじっと耐えていると、第二波が襲ってくる。主人公リュウの視線が見えてくるのである。リュウはもちろん友人たちにまじって、けっこうあんなことやこんなこと、けっこうな肉体遊戯に溺れるのだが、しかしその内面は徹底的にさめている。それこそ限りなく刹那的に血も体も感情も「熱い」人たちのただ中で、さめたまま、静かにすべてを見つめている。リュウのそうした視線が分かってくると、読書体験はグッと深まってくるんである。
ここまでくれば第三波もすぐに打ち寄せてくる。全編にちりばめられたメタファーから漂う印象だ。それは食べ物や果実の腐ったイメージやその腐敗臭だ。何度も何度も、姿を変え形を変えその描写は読み手に訪れる。次第に、つまりそれは、「世界は腐っている」というリュウの内面の声であることが分かってくる時、もうラストも近く彼が立体的な世界像のようなものを脳内に立ち上らせるシークエンスにぶち当たって、僕たちはこれをひとりの人間の勝利宣言として、あるいは芸術家の誕生として、読み取ることができる。
なお、電子書籍版の特典として、本書には執筆時の手書原稿が全ページ分スキャニングされている。さらに授賞当時のポートレート写真16点も収録されている。
初公開となる当時の著者の手書原稿が全ページ分スキャニングして収録されている
授賞当時のポートレート写真16点も収録