運動会の組体操とは一体何だったのか、そしてこれからどうなるのか? 「人間タワー」から考える人と人とのつながり

文芸・カルチャー

2017/11/20

『人間タワー』(朝比奈あすか/文藝春秋)

 運動会のかけっこでよくかかるあの曲を、思い出せるだろうか。通称「天国と地獄』は、「地獄のオルフェ』の序曲である。地獄というほどエグくはないものの、パン食い競走も最近は食べ物をムダにしないようにその場で完食する方針の学校があるなど、運動会は大人になった今振り返ってみるとさながら社会の縮図のようだ。本作『人間タワー』(朝比奈あすか/文藝春秋)は、運動会の数ある競技の中でも組体操に焦点をあてて、生徒・先生・親・卒業生・テレビ視聴者など様々な視点から現代社会の複雑さを描いていく。

 私は小学校の時背が小さく体重も軽かったため、組体操の「人間タワー」(我が校では総称して「秋の花」と呼んでいた)の一番上になった。今でもやや高所恐怖症な私は、足を震わせながら頂点で手を高くあわせてポーズをし、「なぜこんなことをしなければいけないのだろう…」と心の中で思ったのをよく覚えている。作中、運動会のアナウンスで、「人間タワー」の意義はこのように説明される。

「人間タワーは全員の力をかけて築くものです。人間タワーは、誰ひとり欠けても成り立ちません。まさに桜丘小学校六年生の絆を証明します」

 かつて組体操をする側だった私も、それを見る側、つまり大人になった。一番最下段の子どもの親と、最上段の子どもの親の気持ちはどう違うのか。ピラミッド状の集合体の中で、それぞれの子どもたちの気持ちはどう違うのか。組体操をすることで何を目指すのか。もし「人間タワー」を目の前にしたら、そんな物思いにふけってしまうかもしれない。

 ピラミッド、社会、学校といった言葉から「スクールカースト」を思い浮かべる方は多いはずだ。「人間タワー」に上と下があるというのは、敏感な生徒や親にとってみれば、背の順だからと割り切って考えることは難しい。

 作中には運動会に関してのみならず、クラス名をA組・B組としたり、りんご組・ぶどう組としたりするとランク付けのようになってしまうという描写が登場する。名付けは時に人生をも左右する。蝶(あげは)という生徒や、珠愛月(じゅえる)という名前の先生も登場して、それぞれの名前から生み出された宿命が、そうした昨今の学校運営における悩みとあわせて語られていくのが非常に特徴的だ。

 運動会にも事故の危険性を考慮したリスク管理が求められる時代である。「人間タワー」、ひいては運動会・小学校にまつわるこうした事柄からどのように物語が紡がれていくのか。スマホを使いこなす小学六年生・澪の、電車内での心情描写を例にして最後にお伝えしたい。

どの家にも窓がある。窓の中には人がいる。わたしが一生会うことのない人々。その全員がそれぞれ違う小学校や中学校や高校や大学に通っている。お父さんもいるだろうし、お母さんもいるだろう。皆、別々の会社に勤めていて、別々の生活がある。いりくんだ世界のあちこちに、無数の人生があるのだと思うと、澪は奇妙な安堵感をおぼえた。

 帰省して親戚と集まったり忘年会をしたりなど、家族・上下関係が顕在化することが多くなるこれからの時期。人と人とのつながり、社会との関わりについて本書を読んで考えを巡らせてみてはいかがだろうか。

文=神保慶政