『君の名は。』『この世界の片隅に』『聾の形』が描くアニメーションと世界の現在地

アニメ・マンガ

2017/11/25

『21世紀のアニメーションがわかる本』(土居伸彰/フィルムアート社)

 2016年は長編アニメーション映画の豊作の年だった。大ヒットした『君の名は。』をはじめとして、『この世界の片隅に』『聾の形』といった良作が立て続けに公開され、いずれも高い評価を得た。そして、これら3作品は単に優れたアニメーションというだけではない。21世紀に入って世界中のクリエイターたちが試みてきた手法と共鳴しながら、時代を映す鏡のような存在にもなったのだ。

『21世紀のアニメーションがわかる本』(土居伸彰/フィルムアート社)はディズニーからインディペンデント系までリアルタイムのアニメーションの動向を踏まえながら、日本のクリエイターへの影響を分析していく一冊である。配信や製作の過程を変えながら進化を遂げてきたアニメーションの現在を知るために読んでほしい一冊だ。

長編アニメーションは二一世紀的な現象である。(p.40)

 著者はそう考察する。数多くのアニメーション会社がしのぎを削り、宮崎駿をはじめとするヒットメイカーが精力的に活動していた日本では「長編アニメーション」が20世紀の時点で珍しいシステムではなかった。しかし、世界的に見れば予算も技術もかかる長編の製作は困難で、才能あるクリエイターはもっぱら短編アニメを手がけて映画祭に出品するのが一般的だった。

 しかし、デジタル技術の発達がアニメーション史を塗り替える。インディペンデントのレベルでも製作へのハードルが下がり、長編作品が次々に生み出されるようになったのだ。『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン、『イリュージョニスト』のシルヴァン・ショメなど強烈な個性を持ったクリエイターたちが脚光を浴びるようになり、長編アニメーションへの注目度は高まっていく。そして、アニメーション大国、日本も影響を受けずにいられなかった。20世紀型のアニメーションと21世紀型のアニメーションを比較しながら、新しい波に興奮している著者の熱量が伝わってきて興味深い。

 手法の更新はアニメーション文化への歴史感覚も薄れさせていく。つまり、先行する世代がいて「私たち」がいるという意識が持ちにくくなり、身の回りの出来事だけが「現実」のように思えるようになる。『君の名は。』はまさにこうした新時代のクリエイターの感覚を体現していると著者は説く。いわゆる「セカイ系(世界の問題と個人の心象が重ねて描かれる作劇)」の文脈で語られることも多い『君の名は。』だが、著者は作中の事件が主人公と心象と重なっているというよりも、観客の心象とも重ねられていると指摘する。まるで観客の感情が揺さぶられるからこそ物語が展開しているような「全能感」にこそ多くの人が惹かれたのではないか。

 新海誠監督作品はキャラクターの表情が希薄だと著者は気づく。それは、観客が主人公の空洞に入り込むための工夫なのかもしれない。そう、『君の名は。』は「私たち」のアニメーションである。そして、主人公の少年少女以外の登場人物の心理描写も自由に盛り込んでいく『聾の形』にも「私たち」の視点が存在する。無数の視点を作中に配置し、いかなる観客にも感情移入の回路を保証するのは『アナと雪の女王』や『ズートピア』といったディズニーの近作とも重なる手法だ。一方で、主人公の視点を守り抜き、あくまでも「私」と世界の対峙を描いた『この世界の片隅に』の手法には伝統的な長編アニメーションの雰囲気が漂う。

「私」から「私たち」への移り変わりはアニメーションの世界だけにあてはまる現象ではない。2010年代の人々の生き方を、以下のように著者は考察する。

「私」が薄まって、広がって、「私たち」と言った方が適切になる状況が出てきた。(中略)その「私たち」の群のなかで、無数の「私」は自分自身の夢を見始めてもう目覚めることはない。その蛸壺に入ったような「私たち」が、世界中の様々な場所に生まれたのだ。集団としてそれぞれの場所に縛りつけられて。(p.200)

 21世紀のアニメーションは「私」と「世界」の差異がなくなった時代を象徴する。そして、これからも世界の変化を敏感に映し出すのだろう。

文=石塚就一