残念な常識に縛られないために…異色の僧侶が教える、もっと自分らしく生きる考え方

暮らし

公開日:2017/11/29

『頭の決まりの壊し方』(小池 龍之介/小学館)

 大事な試験の前日や仕事の締切が迫っているときに限って、部屋の掃除を始めたりしてしまうのは私だけではないだろう。あの現象にはちゃんと呼び名があり、心理学用語で「セルフ・ハンディキャッピング」と云うそうだ。本来の成果を挙げられない言い訳を自ら用意することで心理的な負担を減らすためと解説されることもあるけれど、もっと直截に云えば現実逃避である。そして現実逃避なるものは問題の解決にならぬから、そんな行為は正さねばならないと説教を垂れる者は少なくないし、常識的に考えて当然とも思える。だがしかし、その考えは決めつけなのではないのか?

 この『頭の決まりの壊し方』(小池 龍之介/小学館)は、寺院とカフェを融合させた「iede cafe : イエデカフェ」(現在は冬眠中)を立ち上げた異色の僧侶が、19の「頭の決まり」を例題にして私たちの頭の中の思い込みの壊し方を説いている、これまた異色の仏教思想の本だ。

 本書は3章から成っており、人と人との関係や物事との繋がりにかかわる「縁」の章、「務める」「勤める」「努める」など日々の「つとめ」にかかわる「務」の章、万物が生まれる場所と心の居場所にかかわる「土」の章とがある。どの章から読んでも構わないかもしれないが、最後の例題の一つ手前に控えているのが「頭の決まり18 常識はとにかく疑ってかかり覆すべきである!」というもので、本書を手に取った目的が覆されるから、順を追って読んでいくのと、いきなり18番目を読むのとでは本書の受ける印象が変わると思われる。

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 とはいえ、私が最初に読んだのは「務」の章の「頭の決まり8 ものごとは受身の姿勢で取り組んではならない。主体的であるべきだ」という例題だった。世間では、「受け身である=怠惰である」という否定的なイメージがある訳だが、以前は伝統寺院の住職を兼務していた著者によると当時、「檀家さんからの依頼があれば、お寺の仕事もやっていました。これも、すこぶる受け身ですね」と述べ、本の執筆や講演の依頼を受けるのも取捨選択するとはいえ「きわめて受動的」としている。それでも何かしら仕事をしているのだから、「怠惰である」とはならない。また原稿執筆に関しては、著者は筆が進まなくなると「今、原稿を書くのに適切なタイミングではない」と止(や)めてしまうという。つまり、「受け身」とは「そのときに最適なリズムで、働き切ること」であり、コンディションが適さないのに無理やり取り組むよりは、部屋の整理整頓をするなどして「すべきこと」をニュートラルに戻してあげるのだと説いている。

 なにやら救われる思いであるものの、どうも最初から順を追って読んだほうが良かったかもしれない。「頭の決まり1 説明すれば誤解は解ける」には、「脳は自分に都合の良い情報だけを集めはじめる」などとある。これは「縁」の章であるから、たとえば「険悪な仲になりつつあるカップル」の場合、些細なことで喧嘩になり誤解を解こうとしても、相手がすでに「もう嫌だ」と思っていたら、「この人から離れたほうが良い」という結論を導くのに役立つ情報を探しているため、むしろ誤解は拡大するばかりという具合だ。

 そして、「土」の章にある「頭の決まり15 社会や政治への無関心はけしからん! もっと皆、社会・政治に関心を持つべきだ」という例題で、さらに頭をガーンと打たれた。というのも、ある特定の問題に関心を持つ人が増えたとして、賛成する人が増えるか反対派が増えるかは分からない。なのに、それぞれを主張する人たちは、関心を持たれれば無条件で味方になってもらえると思い込んでいるのではないかと著者は指摘している。

 ええ、安易にセルフ・ハンディキャッピングをしてしまうことの賛同を得ようとしたのは、味方が欲しかったからです。ごめんなさい。

文=清水銀嶺