初めて天守を作ったのは、あの戦国武将!? 天守の驚くべき歴史と技術

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公開日:2017/12/2

『城の科学 個性豊かな天守の「超」技術(ブルーバックス)』(萩原さちこ/講談社)

 ゲームやアニメで取り上げられることが多く、老若男女を問わず人気の戦国時代。私も詳しいというレベルではないが日本史の中でも好きな時代の一つだ。そんな戦国時代のロマンが感じられる歴史的建造物に“城”がある。敵を迎え撃つ軍事施設でありながら、荘厳で美しさも兼ね備える城は人気だ。

 そして城の顔であり、シンボルといえるのが天守閣。観光で訪れた際には天守閣に登り「城主はこんな素晴らしい景色を毎日眺めていたのだな…」と想いを馳せてしまうものだ。

 ここで、二つの間違いを訂正したい。まず、天守閣は俗称で本来の名称は天守。そして、基本的にお殿様は天守で生活をしない。別に作られた場所で生活を営んでいたという。『城の科学 個性豊かな天守の「超」技術(ブルーバックス)』(萩原さちこ/講談社)では、そんな天守にスポットを当て、日本の城を解説している。

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 城の歴史は長く、発祥は弥生時代の環濠集落まで遡る。佐賀県・吉野ケ里遺跡を聞いたことはないだろうか。中学校の歴史の授業で稲作の伝来や女王・卑弥呼と同時期に習っているはずだ。敵の襲撃に備えて高見櫓を設置し、集落の周りを堀と柵で囲うという特徴から、すでに弥生時代から軍事施設としての城が存在していたことを示す。

 弥生時代以降、様々な城が開発されるも天守はなかなか登場しない。それではいつ、天守がこの世に誕生したのか。実は初めて作られたのは1576年の戦国時代末期だ。先ほども述べたように、城はあくまで軍事施設。戦闘を考慮に入れた築城が進められてきた。だが、実用面だけでなく、自らの権力・武力を天守という形で世に知らしめたかった人物がいたのだ。それこそ、天下統一を目前に控えた織田信長。彼が作った安土城が日本初の天守を有する城となり、豊臣秀吉の大坂城へと受け継がれ、築城のスタンダードに。

 時は流れ、2017年時点で現存するのは、姫路城や松江城、松本城、犬山城など12天守。それらの見どころを本書で紹介しているので、一部を紹介したい。

 白鷺城の名で親しまれている姫路城は、漆喰によって外壁が真っ白なことで有名だ。外観の美しさと迫力のある佇まいは、まさに日本人が真っ先に頭に思い描く城ではないだろうか。そんな外見が美しい姫路城は、関ケ原の戦いの後に大坂の豊臣家を包囲するために作られたもの。そのため、美しい見た目にもかかわらず、内部は実戦仕様で、姫路城にしかない仕掛けもあるのだとか。2015年3月に5年半にも及ぶ、大規模な保存修理工事で漆喰が塗り替えられたので、より白さが際立っているはず。

 白い姫路城に対し、松本城は外壁には黒漆が塗られているため黒い。このことから烏城(からすじょう)と親しまれているという。東から城を望むと優美に映り、西からは武骨に見える。それは、大天守の周りの小天守が戦乱の世、太平の世と異なる時期に作られたから。そのような違いがわかったうえで松本城を訪れれば、いっそう楽しめるだろう。

 本書は現存する残りの10天守についても解説されている。「城をこれから巡ってみたい!」という初心者にうってつけ。また上級者も城と天守の歴史や天守の作り方、形式と構造について詳細な情報が満載なので、きっと新たな発見があるはずだ。

文=冴島友貴