難病に侵された思い人のために何ができるか――ど素人の事務員が新薬開発!?「創薬」の舞台裏に迫るお仕事小説『ビギナーズ・ドラッグ』

文芸・カルチャー

公開日:2017/12/6

『ビギナーズ・ドラッグ』(喜多喜久/講談社)

 この世界に生まれるすべてのモノには情熱がこめられている。かつて『舟を編む』(三浦しをん/光文社)は、「辞書づくり」の仕事にこめられた熱い思いを描き、『陸王』(池井戸潤/集英社)は、足袋屋が生き残りをかけてランニングシューズ開発に奮闘するさまを描き出した。世の中に新しい風を吹かせるのは、ひたむきな努力だけだ。地味にもみえる仕事の裏側に秘められた熱い思い。次に世の中を席巻するのは、新薬開発のさまを描き出したこの物語に違いない。

 喜多喜久氏著『ビギナーズ・ドラッグ』(講談社)は、ど素人の事務員が新薬開発に情熱を燃やすお仕事小説。喜多喜久氏といえば、「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞したデビュー作『ラブ・ケミストリー』や「化学探偵Mr.キュリー」シリーズなどで知られるが、東京大学大学院薬学系研究科修了後、大手製薬会社で研究員として勤務していたという経歴がある。だからこそ、研究開発の裏側を描いたこの物語にはリアリティがあるのだろう。素人ながら新薬開発を目指す主人公とともに物語が進んでいくから、読者も創薬に励んでいるような気分にさせられる。成果を出すべく淡々と進められていく新薬開発の現場にこんなにも情熱がこめられていたのか。難病に侵された人のために奔走する登場人物たちの姿に熱いものがこみ上げてくる。

 主人公は、中堅製薬会社・旭日製薬 総務部所属の超真面目な事務員・水田恵輔。ある日、恵輔は、祖父が入居する老人ホームで出会った車椅子の女性・滝宮千夏に一目惚れしてしまう。しかし、彼女は「ラルフ病」という治療不可能な難病に侵されていた。彼女のために何かできることはないのか。思い悩む恵輔は、社内の「新規創薬テーマ募集」の掲示を目にし、「治療薬が無いなら創ればいいのだ」と思い立つ。

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 総務部出身の事務員に創薬などできるのだろうか。研究本部外からの「新規創薬テーマ」の提案は初めて。創薬に精通した研究者が知恵を絞って提案書を書いても、10テーマに1つも通らないという難関に恵輔は挑むことになる。創薬は慈善事業としての一面はあるが、本質は投資だ。臨床試験入りまでに最低でも1億。小規模な希少疾患の開発とはいえ、承認にこぎつけるまで数十億はかかる。コストに見合うリターンを確保できる見込みはあるのか。投資に値しないテーマが選ばれるわけはないのだから、「千夏さんを救いたい」という思いだけでうまくいくわけではない。しかし、素人の恵輔には勝手がわからない。「ラルフ病」に関する説明会を開いても、インターネットの紹介記事に載せられていた情報しか話せず、研究員を呆れさせてしまう始末だ。

 そんな恵輔の力になるのは、彼の同期で、何事にも噛み付いていく研究員・綾川理沙だ。彼女の力を借りながら、創薬に向けて突き進んでいく恵輔だが、創薬素人の思いつきに対する周囲の風当たりは強い。どうにか提案書が通っても、創薬は簡単なものではない。プロジェクト開始から成果が出て臨床試験に臨めるのは数%にも満たない。おまけに恵輔のチームに集められたのは、理沙以外は、問題児ばかり。真面目だが、不器用、対人関係を苦手とする薬理研究担当・春日。自己中心的で単独行動ばかり取り続ける化学合成担当・元山。限られた時間の中で成果をあげなければ、チームは解散、創薬に挑めなくなってしまう。次々と立ちはだかる困難と、進行する千夏の病魔。恵輔の努力が実る日はやってくるのか。

 いつだってひたむきな情熱は世界を変える。 巧みな腕を持ちながらも、どこか不器用な研究員たちが、次第に一丸となって創薬に臨んでいくさまには、誰もが思わずほろりとしてしまうだろう。あなたは、仕事に情熱を持って取り組んでいるだろうか。この本を読めば、明日から頑張れそうな気がする。地味なことも、些細なことも、挑戦をなしうる一歩なのだと思える一冊。

文=アサトーミナミ