永遠に失わないために恋もセックスも結婚もしないと決めた男女、その愛のゆくえは? 『娼年』『逝年』に続く石田衣良の純愛小説『オネスティ』

文芸・カルチャー

更新日:2018/8/6

『オネスティ』(石田衣良/集英社)

 好きな人と想いあったまま、ずっと一緒に生きていきたい。そんな単純な願いを叶えることが、意外とむずかしい。はじめて付きあった人と誰もが結婚できるわけではないし、結婚したところで離婚したり、仮面夫婦になったりするカップルはたくさんいる。だったら好きな人とは最初から付きあわないほうがいいんじゃないか、そんなことを考えた幼い男女のゆくえを描いた小説『オネスティ』(集英社)。映画化が発表されて話題の『娼年』、そして『逝年』に続く石田衣良氏の長編恋愛小説だ。

 不仲の両親を見て育ったカイとミノリ。幼稚園のころから一緒にいるのがあたりまえで、カップルとして扱われてきた2人は、けれど一度として恋人同士になることはなかった。約束したからだ。永遠に互いを大事な存在として扱うために、キスも、セックスも、結婚もしない。そのかわり隠し事は一切せず、何もかもを共有する。家族のこと、進路のことだけじゃない。初体験も、どんなふうに恋人を愛するのかも、性的な事情もすべて赤裸々に語りあうと。一線を越えていないというだけで、恋人以上に結びついた2人の関係がどこまで貫き通せるのかを検証する、ある意味実験的な作品である。

 貫けるかというのは、プラトニックな関係でいられるかというだけではない。有名な美少女として成長したミノリは性に奔放で、何十人もの男たちと関係を結んでいく。絵を描くことが好きなカイは、ミノリを永遠のミューズとして描き続け、才能を開花させていく。まるでちがう道を歩み続ける2人は、それぞれの世界でときに、心から寄り添いあえる“好きな人”に出会う。カイは2人目の彼女・ミキを慈しみ、彼女とのセックスで、これまで味わったことのない安らぎと幸福を得る。そうなったときにミノリを変わらず“一番大事な存在”として想い続けられるのか? ミノリもまた、自身の人生に彩りと豊かさを与えてくれる他の男に出会ったとき、語りあうだけのカイにどこまで価値を感じることができるのだろうか。精神だけで深く強固に結びついた愛と、肉体的な結びつきをともなった愛。そのふたつを天秤にかけたとき、人はいったい、どちらを優先させることができるのだろうか。

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 正直、ミキの立場だったら、たまったものじゃないだろうな、と思う。いやいやそんなにお互いが大事なら、うだうだ言ってないでくっついてくれよ、そうすれば嫉妬に駆られることも傷つくこともないんだからさ、と言いたくなる。だけどカイとミキが、たとえば中学時代に付きあったりしていたら、大学進学あたりを機に自然と別れていたんじゃないかと思う。お互い、それもしかたないねと納得しながら、初恋の痛みを甘酸っぱい思い出に変えてその先を生きていっただろう。それじゃ、だめなのだ。恋が永遠には続かないと知っていた2人は、一生壊れることのない愛を証明したかった。それがまわりをどんなに傷つけることになろうとも、お互いのことだけを一生大事にしていたかった。身勝手で罪深いと彼らを断じることは簡単だけど、その願いは理解できてしまうから、どこか責めきれないのである。

 ラストで2人がくだした決断に何を想うかで、自分自身にとって愛とは何かが浮かび上がってくる。読者に対する一種の問いかけのような、そんな小説だった。

文=立花もも