なぜホワイトカラーの現場からムダな仕事が消えないのか?

ビジネス

公開日:2017/12/6

『ムダな仕事が多い職場』(太田肇/筑摩書房)

 なぜこんな業務が必要なのか。この作業は何の役に立つのか。そんなことを思いながら日々仕事をこなしている人が大半だろう。我が国にはびこる「ムダな仕事」は果たして「日本企業の文化」と片付けていいのだろうか。毎日のように繰り返される会議、会議のために綿密に組まれたシナリオと資料、姑のごとく徹底的に部下を管理する上司。なぜこの悪習は消えないのだろうか。コストカットや効率化を図っているはずのホワイトカラーの職場でいったい何が起こっているのか。『ムダな仕事が多い職場』(太田肇/筑摩書房)では、その原因を日本の歴史的背景やそこに根付いて生まれた環境などから読み解き、いくつも紹介している。本記事ではそのごく一部をご紹介したい。

■これからは「完璧」ではなく「80点主義」の時代

 完璧な資料、完璧な製品づくりなど、日本の現場では「完璧主義」があちこちで漂っている。確かに何をするにしても完璧な方が良いに決まっているが、完璧を求めると当然追加のコストがかかる。ある半導体のメーカーによれば、納期を守りながら80点の水準で製品を作るときと95点の水準で製品を作るときでは、コストが2倍も違うそうだ。売り上げがこのコストに見合わなければ、当然「ムダ」になってしまう。

 納期があいまいになる事務部門などになると、より一層「ムダ」が浮き彫りになる。「1つのミスも許されない資料」を作るため、部下がどれだけ残業を強いられるだろうか。そこに費やしたコストがどれだけ企業の発展に関わっただろうか。このように一部の「完璧」を達成するため、他の多くを「ムダ」にすることを著者は「部分最適」と呼んでいる。本来企業は、絶えず変化するビジネス環境に柔軟に対応するため、従業員に適切な業務を与える「全体最適」を目指すべきなのだが、日本企業の多くは「部分最適」ばかりに目が行く。この理由についても本書は明確に述べているのだが、読者もおよそ体感的に分かっているはずなので、省かせていただきたい。

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 かつての日本企業では、しっかりとした計画を立て、計画に従って製品やサービスを作り、万全のテストを行ってから市場に出すのが正しい仕事の進め方とされてきた。しかし現在では仕事の進め方自体に、より機敏な動きが求められている。とくにインターネットビジネスの場合、新サービスが市場に受け入れられるかどうかは実際に使ってもらわないと判断できないことがほとんど。そのため最低限のサービスを備えた段階で市場に投入し、顧客の声を聞きながら改良を加えていくという進め方になる。こちらの方が前者より市場に出す時間が早いだけでなく、成功率もずっと高くなるそうだ。

 環境の変化が激しいこれからの時代は、感覚的には「80点くらいの大枠」を作り、細部は走り始めてから徐々につめていく、あるいは修正していく方が効率的。そもそもリスクや可能性は走り始めないと見えてこない場合が多いからだ。完璧な仕事はITや機械に任せてしまえばいいのだ。

 本書の内容はまさしく正論だろう。しかし実現は難しいのではないだろうか。なぜならば、決定権を握っている会社上層部の人間の脳みそにムダが多そうだからだ。年を食った上司になるほど、大企業になるほど、非効率なことが好きそうな印象がある。ムダをムダと認識できなければ、企業からそれが消え去ることは永遠にないだろう。もうしばらく日本企業の衰退は続きそうな気がしてならない。

文=いのうえゆきひろ