まるで朝ドラのようなドラマチックな人生――「美」を追求したメイ牛山の生涯とは?

暮らし

公開日:2017/12/20

『女が美しい国は戦争をしない 美容家メイ牛山の生涯』(小川智子/講談社)

 まるで朝ドラのように波乱万丈で、ドラマチックな人生だ。

 六本木ヒルズに、ハリウッドビューティプラザという建物がある。創業93年目を迎えたハリウッド化粧品のショップやスパ、美容専門学校などが集まる、美の拠点と言える一角だ。このハリウッド化粧品を率い、2007年に亡くなったメイ牛山さんは、まさにドラマの主人公のごとき生涯を送っている。

 彼女が明治44年(1911年)に山口県で生まれ、六本木ヒルズの喧騒を見届けて亡くなるまでを描いた『女が美しい国は戦争をしない 美容家メイ牛山の生涯』(小川智子/講談社)によると、メイ牛山さんは本名を高根マサコといい、防府の塩農家に生まれたという。幼い頃からエキゾチックな風貌と、母親の帯をバッグに仕立て直して周囲を驚かせるほど、器用な手先の持ち主だった。

 そんなマサコが東京に行こうと決意したきっかけは、関東大震災だった。東京に住むおばが心配だったのもあるが、帝都が華やかに復興していくさまに、心惹かれたからだ。しかし上京する際にはまだ何をするかを決めてなく、髪結いを志したのは、易占い師に「髪結いか料理人でしょうな」と言われたことがきっかけだったそうだ。とはいえ、就職先のあてはない。仕事を求めて憧れの銀座をさまよっていると、すっかりモガ(モダンガール。当時の流行の最先端)になった、女学校時代の友人の姉に声を掛けられた。そして「アメリカ帰りの夫妻が銀座で『ハリウッド』という美容学校を開き、美容教室も始めた。そこなら住み込みで勉強ができる」と教えられたことで、のちの夫となる校長のハリー牛山こと、牛山清人氏と出会う。

「ハリウッド」創始者のハリー牛山は18歳で単身アメリカにわたり、ハリウッドで活躍していた日本人俳優の早川雪洲の付き人となる。撮影所に出入りするうちにポーランド系ユダヤ人の化粧品商、マックス・ファクターと知り合い、彼から美やコスメのノウハウを学ぶ。帰国後の大正14年(1925年)、アメリカから持ち帰った最先端の技術をたずさえ、美容院をオープン。そこに生徒としてやってきたのが、入学後すぐに頭角を現す、12歳年下のマサコだった。

 ……ここまで読んだだけでもう、昭和の少女マンガか恋愛ドラマかと思うほどのコッテコテの展開に満ち溢れている。しかしこれは実話なのだ。

 その後、繊細な手先の持ち主だったマサコは店を任されるまでに成長し、妻を亡くした清人の再婚相手となる。そこからメイ牛山としての活動が始まるが、彼女にとって大きかったのは、やはり戦争だった。

 婦女子のパーマネントや華美な化粧が禁止され、街からはカタカナが消えた。ワシントン靴店は「東條靴店」、ハリウッド美容室は「牛山美容室」に、ベティちゃんやミッキーマウスのぬいぐるみは、捨てざるを得なくなった。そんな状況でもマサコは美に対する思いを捨てず、疎開先の長野県でも美容教室を開いていた。それは

どんな世の中になっても、女のおしゃれ心がなくなってしまうことはない。それだけは確かだわ。

 という信念を持ち続けていたからだ。

 きれいな女性がたくさんいても、紛争が絶えない国は残念ながらたくさんある。しかし戦争は確かに、身だしなみに気を遣う余裕を女性から奪う。しかしそれでも、あるもので何とかしようと奮闘する女性は絶えない。そしてマサコの言う「きれい」は、余計なものを抱え込まない「肌」と「体」と「心」のバランスを指している。決して、もともとの素材の良しあしでではないのだ。

 清人のいとこがのちの新田次郎だったり、偶然知り合ってモデルを頼んだ「可憐で理知的な女の子」がのちの司葉子だったりと、マサコの家族や交友関係は、華やかさに満ちている。しかし本人は90歳を過ぎてもサロンで接客にあたるなど、尊大にはならなかった。晩年はお団子ヘアのおばさまキャラでバラエティ番組に出演していたので、アラフォー以降なら覚えている人も多いことだろう。

 美とはどういうものなのか、化粧品とは何のために存在するのか。その人生を通して、メイ牛山になったマサコが訴えかけてくる。著者の小川智子さんは脚本家なので、もしかしたらドラマ化の計画が進んでいるのかもしれない。それを結構本気で、期待している。

文=今井 順梨

この記事で紹介した書籍ほか

女が美しい国は戦争をしない 美容家メイ牛山の生涯

著:
出版社:
講談社
発売日:
ISBN:
9784062206853